第三章 各行事について
お彼岸特集です!
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その1
彼岸会には二つの宗教的志向があります。一つは、自ら修行によって自分の罪を滅(めっ)しようとするもの。今一つは祖先の霊に供養する追善の意味です (´ρ
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その2
悩みを離れて悟りがないように、この現実の「此岸」の生活の中で、私達は六波羅蜜の生き方を実行することによって、幸せと喜びにあふれた「彼岸」を見いだすことができるのです (´ρ)ヘぇー(´ρ
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Q33 彼岸
A 彼岸会が春秋に行われるのは、日本独自の思想です。日本は、四季に恵まれた季節感のある国です。
この彼岸の行事は自然の恵み・祖先への恩恵に感謝するためのものです。その期間は、春分・秋分の日を中心とした前後三日間ずつの一週間です。
我が国で彼岸会が営まれたのは、聖徳太子の時代と言われています。太子が四天王寺を建立された時、ちょうど西の門が難波津(なにわづ・大阪市)の波打ち際で、そこに建てられた西門は、まさに極楽浄土の東の門に当たるという額を掲げられたという故事があります。その額には、「当極楽土、東門中心」と書いてあるそうです。
しかし、実際に彼岸会が盛んになったのは、平安初期からと言われています。この頃は、特に罪障(ざいしょう)の消滅ということが中心でした。
そして鎌倉後期になりますと、亡くなった方の追善の意味も込められた行事として定着していきます。つまり、彼岸会には二つの宗教的志向があります。一つは、自ら修行によって自分の罪を滅(めっ)しようとするもの。今一つは祖先の霊に供養する追善の意味です。
日蓮聖人も、彼岸鈔の中で、「この七日のうちに一善の行いを修せば、悟りを開き、仏となれる。他の時節に功労を尽くすよりは、彼岸一日に小善を行えば、大いなる悟りの道に至ることができる。人はだれしもこの彼岸の時節を良く知り、小善をも行うべきである」と言われました。
Q34 彼岸の起こり
A 仏教では、苦しいことも快楽も、善きにつけ悪しきにつけ、極端に走らず、中道を重んじます。暑さ寒さも彼岸までと言うように、春と秋の彼岸の時期は、暑からず寒からず、季節の中道ともいえるでしょう。仏教の中道を尊ぶ考え方が、季節の中道に重なり、この時期を彼岸会とするようになったと言われています。
また、彼岸は農耕との関わりがあり、古くからある太陽(天道)信仰の風習と結びついたものとも言われています。
春分・秋分は太陽が真東から出て真西に沈むと倶に昼と夜の長さが同じということで、これは非常に重要な節目でした。「日の願(ひのがん)」という言葉もあり、これから「日願(ひがん)」になったとも言われています。
例えば、彼岸の七日間の間に『日の伴』とか『日迎え・日送り』をする行事は近畿地方一帯にありました。これは、朝日の出る東の方のお宮やお寺にお参りして、日中は南の方のお宮やお寺に参り、農耕の安全と豊作を祈り、これを節目として祖先の霊を祀るのです。きわめて原始的な太陽崇拝ともいえますが、彼岸会が太陽や農耕と切り離せない関係にある事を表しています。
Q35 彼岸の意味
A 彼岸とは、季節を表す言葉ではありません。彼岸とは浄土のことです。対照的に迷いの世界を「此岸(しがん)」と言います。迷いの此岸から悟りの彼岸に至る為のお勤めのことを言うのです。
彼岸とは梵語で「パーラミター」と言います。中国で音写して「波羅蜜多(はらみた)」と書き、それを「到彼岸(とうひがん)」と訳しました。到彼岸とは彼岸に至るという事です。
お彼岸の中心の日を「中日」といい、仏様の教えの通り、偏(かたよ)らない心を持って生きることを表します。
その前後の六日間に布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ)の六つの心構えを持って修行する日とされています。
布施とは、大きく三種類に分けることができます。仏の教えを聞き、他の人にも話し、共に学ぶことを法施(ほうせ)。常に相手の気持ちになって、物質的な喜びを与えるのが財施(ざいせ)。どんな困難も怖れず相手の人を精神的にいたわることを無畏施(むいせ・身施とも言う)と言います。布施が菩薩の基本となる行いなのです。
持戒とは、規則や約束を守り、身を慎むことです。国民としては法律を守り、個人としては仏の戒めを守ることです。
忍辱とは、自分勝手な心を抑え、相手を尊重し、お互いに寛容な精神を持つことで、何事にも耐え忍んでいく修養を大切にすることです。
精進とは、何事にも一心に努めることです。何の努力もなしに棚からぼた餅のようなことは考えず、それぞれの立場で励むことです。
禅定とは、心身を不動平静にすることで、自らを反省し、心身を落ち着かせることです。世の中が煩雑になり、心の落ち着きを失いがちです。意馬心猿(いばしんえん)の如く自分の欲望を抑えることができなくなってきているので、邪念や妄想を捨て、心を統一させることが肝要です。
智慧とは、仏様の智慧です。仏様の教える智慧とは、「聞慧(もんね)」仏様の正しい教えを聞き、「思慧(しえ)」自分の日常生活や考え方を観察・反省し、「修慧(しゅうえ)」仏の教えを実習実践することです。この三慧(さんね)と、先の五つの行いを修行する事が彼岸に至る為のものなのです。
私達は、苦しみ悩む毎日の生活の中で仏の慈悲の教えに生かされています。悩みを離れて悟りがないように、この現実の「此岸」の生活の中で、私達はこの六波羅蜜の生き方を実行することによって、幸せと喜びにあふれた「彼岸」を見いだすことができるのです。
★大阪豊能宗務所発行『供養の心としきたり』より★