お葬式(家族葬)の問題点について

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 先日、檀家さん宅へ月参りに伺った時の事です。お経も終わり、お茶を飲みながら話しておりましたら、最近の家族葬について話題が及びました!
なんでも、町内の親しい方が亡くなっても、家族葬だからという理由で、訃報を知る事もできず、もし知っていたとしても、参列を拒否されることがあるとの事( ̄□ ̄;)!!
osousiki
生前にお世話になった方なので、せめて最後だけでも参列して手を合わしたい(。-人-。) でも、それが叶わない!というお話でした・・・。
これでは、まるで秘密葬ですね!
近年、お葬式は近親者だけで執り行う家族葬が主流となりつつあります。しかし、ここに大きな落とし穴があります。
それは、大事な縁(えん)まで切ってしまっているという現状です。故人の死を悲しんでいるのは、身内だけではありません。その悲しみを、一緒に受けとめたいと思っている人達までも締め出してしまうことは、その人達から得られるかも知れない支えを拒否する事になります。
nakigao
この場合、多くの関係者は故人の死をなかなか受けとめにくく、いつまでたっても、気持ちが落ち着かなくなることがあります・・・。
だから、お葬式が終わっても、「せめてお焼香だけでもさせてください」と、自宅へ訪問される方が絶えなかったり、お墓参りも同じように来られ、尋ねられます。
そうなると、遺族はその都度、お相手をしなくてはならず、とても負担となることが多いそうです・・・。
①、日本の貧困化が進んでいる。
②、お葬式にお金をかけたくない。
③、お葬式の意味を見出せない。
④、みんなに迷惑をかけたくない。
⑤、会葬御礼がわずらわしい。
これは、現代のお葬式の意識でもあり、問題点でもあります!
①②に対しては、お葬式というのは決して盛大にすれば良いというのではないので、家族葬でも問題は何らありません。
しかし③の問題を克服しなければ、お葬式の意味を失ってしまいます。
何の為にお葬式をするのか?その大事なところをもう一度考えていかなければ成りませんね。

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さて最近、多くのお葬式で見受けられるのが、「香典辞退」の立て看板!
これなんかは④⑤の気持ちの問題がはたらいていますね。昔は、お葬式をすると黒字になったと、よく檀信徒から聞きます。それは、会葬者の香典で、お葬式を執り行うことができたからです。貧困化が進み、お葬式自体執り行うことが難しい昨今、この事は、もう一度見つめ直していかなければなりません。
お寺としては、できるだけ受け取ることをお勧めします。それは、香典には互助精神という意味もあり、何より供養を受け入れるという布施の精神を忘れてはいけないからです。人々の布施の功徳の善根を摘んでしまう行為にもなりかねません。
ちなみに⑤は、即替えしとして3,000円の香典返しをして、後日の手配が済む方法もありますので、対処法は色々あります。
koudenn

最後に、④ですが、迷惑をかけたくないというのは、誰しもが思うことですね。
しかし考え直さなければならないのは、人間は迷惑をかけずにはいられない!ということ。
オギャーと生まれた瞬間から、亡くなる時まで、私たちは一人では生きていけないのです!そこをしっかりと認識した上で、人生を歩んでいかなければなりません。
私たちが次代へ伝えなければいけないのは、
「迷惑をかけない人になれ!」
よりも
「迷惑を許せる人になれ!」
という生き方ではないでしょうか?
昔は、「親の葬儀を出して一人前」と言われました。
ところが最近は、自分の子供達の結婚式や新居の準備さえも、親が段取りしてしまって、大人になるための儀式を一つも経験しないまま、歳だけ取っていく人が増えました( ̄へ ̄|||) ウーム
最後くらいは、親のお葬式くらい立派に出せる子どもに育てましたと、
胸を張って言えるようになりたいですね♪

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