当山・この町 いわれを仏典にみる

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当山、大垣市三塚町宝光寺というお寺のこと、
この町のことを、
仏典にひもといてみてみたいと思います。

当山の北側には、今は町内会の管理となっている犬坊丸の墓があります。
ここは、江戸期の古地図を見ると、大塚神社と記されています。
もとはこの地域のおおもとの神様が祀られていました。
「神社とお寺は別」それはここ100年くらいの間だけのことです。
もとは一つでした。
明治期に分離するイデオロギーが施作され、時が過ぎて、
その出来事自体忘れ去られました。

大事なことは、前提としてそうだった、その頃の風景を思い出す、
そして、そこへ当時の祖先たちはどのように接していたのかを想像することです。
そうすると、今の自分の不思議なところを感じ取れます。
これが聖命力になる。

さて、
お釈迦さまの最後の旅路が説かれている「涅槃経」
の中に、
(涅槃経は初期経典としての涅槃経と、
大乗経典としての涅槃経の二つあります。
ここでいうのは初期経典の涅槃経です。)

マカダ国の阿闍世王が隣国を攻めたいが釈尊のお考えを聞きたいと諮問する場面が出てまいります。
ここで、釈尊は「専制国家(独裁政治)」と「民主国家(合議政治)」とを引き合いに出してお答えになります。これは諸宗教対話や戦争(政治)と宗教を考える貴重なテキストになりますので、いずれしっかりと研究をして明らかにしたいと思いますが、結論のみ先立てば、教誡によってこの隣国への侵略を踏みとどまらせる抑止力を発揮します。

その回答を出す上で釈尊は、「集団が衰退しない条件」として7つ挙げておられ、それを一つ一つの条件をその隣国は満たしているかどうかを弟子に確認します。じつはその条件をその隣国に指導したのはお釈迦さまご自身だったのです。そしてその指導通りに今もなお守っているということを確認されることで、阿闍世王の諮問に答えるという正しい姿勢を取られました。
その条件の一つにこの町・この寺のえにしをみました。

その国は、内外の霊域を敬礼し、尊重し、尊崇し、供養し、それらの霊域に対して与えられ、かつてなされた供物を廃止することがないうちは、繁栄のみが期待され、衰滅することはないであろう。
とあります。

ここにある「霊域」とは
インド語で「チャイティヤ」です。
そして、チャイティヤは「宝塔」のことでもあります。
当時の「チャイティヤ(宝塔)」とは、
・死者を記念する「塚」
・塚の目印として植えられた樹木のある区域
・塚に植えられた樹木自体である「霊樹」
・その樹木に住まう守り神「樹神」
という様な意味で用いられていました。

この教説を読んだ時、私はまさに当山と三塚のことではないかと背筋が伸びる思いでした。
さらに、釈尊は先祖や祖先に対しての正しい供養を行うことを勧めておられ、その一族の繁栄と衰滅はこの霊域にどう向き合っているかを見ればわかると教え戒めていたことも改めて確認できました。

当山の北側にある犬坊塚とモッコク樹そして宝塔を祀る寺、その区域に育つ草木どれをとってもこの教えに示される処であると学びました。

当山は、明治期の政策「神仏分離令」の時、神社になる選択もありました。
この街の産土神・氏神さま・土地の神様を祀っていたからです。

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