東大寺式伽藍配置と国分寺

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 東大寺は正しくは金光明四天王護国之寺といい、大和総国分寺である。もとは八宗兼学の寺であったが、現在は華厳宗の総本山である。天平勝宝四年(752)の大仏開眼のときは、金堂(大仏殿)は建っているが完成しておらず回廊も工事中であったという。その後、東西両塔(七重塔)が南大門と中門とのあいだの東・西に建てられ、食堂や門がつくられた。中門の左右から出る回廊で金堂院の一区域をつくり、正面に金堂、講堂は金堂院の背後に建てられた。このように東大寺は南大門から講堂までを一直線上におき、塔を回廊外に出して南大門と中門の間、左右に対象的に建立されていた。
 国分寺は、聖武天皇の勅願により天平十三年(741)、諸国に創設されたが、その伽藍配置は東大寺式を簡略化したものが最も多い。東大寺式と異なるのは、七重塔を東西いずれかに一基のみおいた点である。
 

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