聖武天皇の発願によって国分寺が建立

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 天平初年(729)以来、打ち続く自然災害や天然痘の流行と政情不安のために、聖武天皇は天平九年三月、これらの消除を発願した。国ごとに丈六の釈迦三尊像をつくり、大般若経六百巻を書写するようにとの勅願に始まり、天平十二年六月、更に法華経を書写し、七重塔一基を建立するように諸国に詔りされた。こうしたことが天に通じ仏の意にかなったのであろうか、久しぶりに順調な天候に恵まれて豊作となった。再度、正式に天平十三年には国分寺造営の詔が下された。かくて国ごとに国府に近く好処をえらんで国分僧寺と国分尼寺とが官寺(国立)として建立された。
 
 天平十三年 国分寺建立之詔
  宜しく天下諸国をして各七重の塔一区を敬い造り『金光明最勝王経・妙法蓮華経』を写して塔毎に一部を置かしめん。冀こいねがう所は聖法の盛んなることを天地と與ともに永く流つたへ擁護の恩、幽明に被わたりて恒に満てらんことを、それ造塔の寺は兼ねて国華となす。必ず好処を択んで実に長久なるべし。
 「咲く花の匂うが如く」天平文化が開花した、今から千三百余年前の奈良時代は反面、自然災害による凶作や政争、天然痘の流行など社会不安がつきなかった。聖武天皇はこの現況を仏教の法力や慈悲のこころで解消して万民安楽と五穀豊穣を念願し、さらに理想とする天皇中心の強力な律令国家をめざす目的で全国各地に国分僧寺と国分尼寺とを建立された。国分寺遺跡は、現在100寺(僧寺65、尼寺39、東大寺含む)が知られている。その中で国の史跡に指定されたものは53寺(僧寺45、尼寺8)である。静岡県下では磐田市に遠江国分寺が、静岡市に駿河国分寺が建立されたが、場所が判明しているのは遠江と伊豆国分寺である。
 

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