1260年(文応元年)8月27日、松葉ヶ谷の草庵で、日蓮大聖人が念仏者たちに襲われた法難です。
大聖人は、1256年(康元元年)頃から全国各地に起こった飢饉や疫病を、
真言・念仏・禅・律宗などの僧が法華経を誹謗するゆえであるとして、幕府に訴えつづけられました。
そして1260年(文応元年)7月16日、大聖人は宿屋左衛門尉を仲介として、
北条時頼に一刻も早く念仏等の誤った宗教を捨てて正法に帰依するように勧めた立正安国論を提出しました。
しかし、このことは幕府の権力者達の怒りにふれ、
また念仏者を始め諸宗の僧達も大聖人に恨みを抱き、
8月27日、北条重時ら念仏を信仰していた権力者を後ろ盾とした念仏者達が深夜に松葉ヶ谷の草庵を襲撃しました。
大聖人はこの難を逃れ、一時、鎌倉を出て下総(しもうさ)国(現在の千葉県)の富木常忍のもとに身を寄せられました。
1年後に再び鎌倉で新しい草庵を構えました。
以後、幕府側は大聖人を伊豆・伊東へ無実の罪で流罪(伊豆流罪)にするなど、様々な迫害を加えていったのです。