本土寺 施餓鬼法要

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みなさん、こんにちは。
研修員の阿部全雄です。  6月1日より布教研修所に入所させていただき、
あっという間に3ヶ月が経過しました。本当に時が経つのは早いものです。
入所したての頃は、「1日が長いな!この先、続けられるかな!?」
と悩んでいたのを思い出します。

 さて、8月5日(日)に、松戸市 平賀 長谷山 本土寺の
施餓鬼法要のお手伝いをさせていただきました。
午前は新盆者の法要で、午後は檀信徒の法要でした。
どちらも法要の前には法話があり、午前を水上正彈師、
午後を藤田玄真師が法話をさせていただきました。
そして、残りの研修員が施餓鬼法要に出仕させていただきました。
大勢の檀信徒の中で実践する研修員にとっては、
とても良い経験になりました!

 
 さて、この本土寺ですが、こんにち「あじさい寺、花の寺」
として親しまれております。
この本土寺の「本土」とは、
妙法蓮華経如来寿量品第十六 お自我偈の経文にある
『衆生見劫盡 大火所焼時 我此土安穏 天人常就満 園林諸堂閣 
種々寶荘厳 寶樹多花果』の「我此土安穏」から来ております。
「我此土(わがこのど)」とは、つまり、お釈迦様が本当の佛、
本佛となって住む国土「本土」に由来します。

また花は、本佛に捧げる花であり、宝樹です。
そして、植木を中心とした境内整備に努めているのは、
この「寶樹多花果」の楽園浄土を本土寺に実現したいからです。
お釈迦様のお姿は、草木国土も成佛させよう
という慈悲の光に輝いております。
 そんな神聖な場所で、私たちの唱える
「南無妙法蓮華経」のお題目が、
すべての人々や草木国土に届いたと思うと嬉しい限りです。
 

  さて、お施餓鬼で大事なことですが、
生きていると人間はどうしても、
「あれも欲しい、これも欲しい、ああなりたい、こうなりたい」
と、ものに執着し欲をかいてしまいます。
それでは苦悩の原因になるだけで、悟りなど及びもつきません。
なので、他者に施しをすることが大切なことです。
それは餓鬼界だけでなく、すべての生きとし生けるものを救うことです。
そうすることによって、多大な功徳が得られるのです。
それを自分のご先祖様などに回転趣向(回向)回し向けるのです。
共に佛になりましょうと!

 
 さて、日蓮宗総本山 身延山久遠寺には、三門の先に
有名な菩提梯(ぼだいてい)がありますが、
この菩提梯が建てられた経緯が、
お施餓鬼の意義と似ていると思い説明をさせていただきます。
  
 身延山の三門から続く石畳の先には、高さ104メートルに及ぶ
287段の菩提梯という有名な階段があります。
菩提梯とは、「覚りに至る梯(きざはし)」のことです。
 
 今から約380年前の昔、佐渡に仁蔵(にぞう)という若者がおりまして、
信心深い母親と暮らしておりました。
仁蔵は、年老いた母親の願いを叶えたいと身延山 久遠寺へ行き、
母親を背負って本堂までの急坂を上がったそうです。
 これがことのほか大変であった為、息子に申し訳なく感じた母親が
「ここに石段があったら、参拝も助かるであろうに・・・」
とつぶやいたそうです。
 
 数年後、母親は亡くなりましたが、仁蔵の耳には母親の言葉が離れず、
石段建設の資金を貯めようと決意しました!
そこから仁蔵は 数十年間、寝る間も惜しんで働きました。
そして、ついに稼いだお金を持ち、身延山を目指しました!
すると、途中、富士川の船着き場である鰍沢というところに着きました。
ところが、その年はまれにみる大飢饉の年であり、
多くの村人が苦しんでいる姿を目の当たりにします。
なんと、心優しい仁蔵は、その貯めたお金を
すべて村人に施したのです。

 そして、佐渡に戻り、再び石段建設の資金を稼ぐために
半漁・半農の日々を送りました。
 ある晩、漁の最中に、
港の先の山がきらきらと輝いているのに気付きました。
佐渡金山の発見でした!
仁蔵は金山発見の恩賞金を受け取って、
天の恵みと喜び、再び身延山に向かいました。
 
 あの飢饉の際に助けられた人々ですが、
あの時のお金が石段建設のためのものであったと知って感銘し、
なんと建設の手伝いをしたそうです。
参拝者からの力添えもあり、
寛永9年(1632)年に石段は無事に完成しました!
 石段は「南無妙法蓮華経」になぞらえ、
7区画に分かれております。
  それが現在に残る、菩提(悟り)への梯(キザハシ)である
菩提梯であり、母親の追善菩提を祈る道です!

 
仁蔵が、身延に向かう途中の鰍沢で大飢饉に苦しむ人々に会い、
自分が菩提梯建設の為に貯めいたお金をすべて施したことは、
なかなかできることではありません。
しかし、仁蔵は大飢饉に苦しむ人々に施しをしたことで、
多大な功徳を得ることができたのです。
そして、その功徳を自分のものにするのではなく、
自分の母親の為、世の人々の為に回し向けたのです。
 

日蓮大聖人は崇峻天皇御書において
「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。
此御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給べし。」と申しております。

これは、「蔵の財より、身体の財、身体の財より心の財が一番大切であるから、
心の財を積みなさいよ。」ということです。
 

研修期間も、残り三ヶ月となりました。
果たしてどれだけたくさんの心の財を積んで帰れるのでしょうか!?
残りの研修期間を無駄にすることなく、
一日一日の研修に精進をいたす所存です。
合掌

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