京都府京都市右京区にある鈴木英文上人が住職をされている三寳寺では毎年12月の第1日曜日に『日蓮大聖人報恩御会式』、前日の土曜日に『日蓮大聖人報恩祈祷会』が奉行されている。日蓮大聖人が亡くなられた10月13日の忌日が新暦の12月初旬に当たり、三寳寺の開闢が12月8日である事から、この時期に行われるようになった。その両日に檀信徒や一般参拝者に振る舞われる大根焚きを総責任者として作っているのが、三寳寺筆頭幹事の石田静子(97)さんだ。
前住職である鈴木英正上人から依頼を受け、大根焚きに携わって40年近くが経つ。手伝い始めた頃は数十人の檀信徒だけの参拝であった。しかしNHK等のテレビ局や各新聞社、観光旅行業者に【厄落としの大根焚き】として紹介されるようになって以来、2日間で約1000人の参拝者が訪れるようになった。静子さんはその参拝者に振る舞われる大根焚きを前任者の西村好子さんから引き継ぎ、全責任を一身に背負って作っている。直径80センチメートルの釜は全部で6釜。1つの釜で約80人分を6~8時間かけて焚く。同じ畑で採れた大根でも太さや長さは勿論、中身も1本1本違う。全ての釜の大根を同じように味付けて焚いていくのは容易な事ではない。こまめに1釜1釜の状況を把握しながら、次男のお嫁さんなど手伝いの方に指示を出し、味付けや火の加減の微調整を行う。前日の準備会から3日連続で立ちっぱなしの作業が続き、歳を重ねた体に寒風と京都の底冷えが響く。「なかなか大変です。でも沢山の人達がお参りに来てくれて、美味しいと言ってもらえるのが嬉しい。東北や関東から毎年必ず来てくれる人や、作った大根焚きの(SNSであげる)写真を撮る若い人達が増えてきたので励みになります。何よりもお給仕させて頂ける事は本当に有り難いと感謝しています」人懐っこい笑顔の奥に篤い信仰がうかがえる。
静子さんが法華経に出会ったのは結婚してからだった。結婚式の翌日、ご主人の真蔵さんとお寺へ参拝し、ご先祖さまのお墓参りに行った。しばらくして地域の題目講に参加するが、他宗から嫁いできた静子さんは熱心な法華経信仰を持つ題目講の人達に驚いたという。題目講には大切な宝物が有る。それは三寳寺第41世常照妙院日相上人が昭和33年身延行堂(加行所)の第5行成満の折、題目講に授与された大曼荼羅ご本尊だ。授与されて以来、必ず毎月1回当番の人の家に集まって講中の人達だけで読経・唱題し、大切なご本尊を60年以上輪番で守ってきた。信心深い題目講である。最初は戸惑いや不安もあったが、毎月必ず題目講に参加した。わからない事だらけの中で題目講の人達が親切丁寧に教えてくれた。お寺への参拝も誘ってもらい一緒にお参りするようになった。その後、声が掛かりお寺の行事のお斉を作る厨房の手伝いをするようになった。以来行事の度に厨房でお給仕をし、その中で先輩達からお給仕の大切さを学んだ。の事が静子さんの信仰心をより一層大きくする。いつしか誰よりも大きな声でお経を読み、お題目を唱えるようになった。団参にも積極的に参加し、身延山久遠寺を始め全国の本山、多くの寺院を参拝した。一番の思い出は七面山登詣であったと言う。「随分前ですが七面山にお参りに行きました。一生懸命お題目を唱え必死で登りました。体が言う事をきかず、本当に辛くてしんどい団参でした。でも翌朝のご来光に手を合わせた時の感動は今も忘れられません。皆さんと一緒に長いお布団で休ませてもらった事や食べる物が無い時代でしたので自分が食べるお米を二合ほど持って行った事もいい思い出です」当時を振り返り懐かしそうに語る。
24年前に筆頭総代であった夫の真蔵さんが他界。深い悲しみに打ちひしがれる中、「この悲しみを乗り越えるには信仰しか無い」そう自分に言い聞かせて益々信行に励むようになった。今も勤行・お給仕は毎日欠かさない。「大きな病気もせず、自分の事は自分で出来、毎日元気で過ごせる。ひとえに、お題目を唱え、仏祖三宝、ご先祖さまや亡きご主人に
守られているお陰。本当に有り難い事です」と感謝の念が絶えない静子さん。1世紀近くの人生を送る中で時代の大きな変化を感じると言う。「随分世の中が変わってきたように思います。でもどんなに時代が変わっても人の心は変わりません。信仰も同じだと思います。私が先輩達から受け継いだように若い人達に信仰を受け継いで欲しい」次世代の人達へ期待をよせる。「もうすぐ白寿を迎えます。今日まで元気で過ごさせて頂いたのは日蓮大聖人・お題目のおかげ。最後の最後までお題目を唱え、出来る限りお給仕させて頂きたいと思っています」力みなく朗々と語られるお姿は、脈々と受け継がれてきた信仰の尊さそのものであった。