9月9日(金)京都市山科区日ノ岡宝塔(題目碑)にて第14回粟田口刑場一万五千人処刑者の霊位追善供養法会が行われた。京都府第一部宗務所所長橋本一妙師を導師に法味言上し、僧侶と関係者が立正平和と交通安全を祈念した。
尚、今年は日ノ岡宝塔より西へ約700メートル先に、京都市と九条山峠町町内会の協力を得て粟田口刑場跡の説明板が新設され、除幕式も合わせて実施された。
この地は都から東国への交通の要衝であり、日岡峠道として京都への出入り口で東海道最後の難所と言われた所である。また古来、都と郊外の境界に位置するこの地は公開処刑場が設けられており、刑場を望む山裾には、刑死者の霊を弔い慰め、供養する宗教者によって何基もの供養塔が建てられた。明治初期の廃仏毀釈や現代にいたる開発によって、供養塔や経王塔などが破壊され、道路側溝の蓋石や石垣石にされてしまった。さらに明治8~10年にかけての日岡峠切り下げ工事と昭和6~8年にかけての京津国道改良工事などによって、景観も一変した。その為長い間、粟田口刑場の跡地が正確にわからず、その後の車石、車道研究会の人々の研究の後に、現在の地形であったであろう地に説明板が新設され、これからこの地を行きかう人々にとって歴史がわかる場所になった。