太陽の光と熱にきをつけて!
お盆《7月13日→15日/16日》
7月そして8月はお盆月です。
地域によって新暦に併せた7月盆をとるか、旧暦のお盆に近い8月のお盆をとるかで時期にずれがあります。
川崎では7月盆をとることが多いようです。
◎お盆の法要について《7月7日13時法話、14時法要》
各家先祖代々の霊位 ならびに、風水害◦戦争◦疫病等
さまざまな災難によって亡くなられた精霊に法華経を読誦し、お題目を唱えて供養いたします。
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本年度も法要の様子をライブ配信いたします(※FACEBOOKページをご覧ください)
離れたところから空間と時間を超えて、同じ時間を共有されるかたは、ご利用ください。
ライブ配信後は、多少字幕◦解説?等をつける等をし、YouTubeにアップロードしたいとおもっています。
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ライブ配信にもいいところ、悪いところはあると思いますが、空間次元から整えられた場所でお詣りする臨場感というのはなかなかライブ配信では味わえないものだと思います。個人的には機会があれば五感で法要を味わっていただくのが一番だと思っています。
各宗派◦門流◦寺院のやり方もありますので、興味が湧く方がいらっしゃったら自分の菩提寺さんや近隣のお寺等の行事を覗いていただくといいと思います。
配信については円眞寺版のお施餓鬼法要になります。
スマホ一台を使っての配信となりますので、音声の乱れや聞き取りにくさがあるかと思いますのでご了承ください。
◎お盆の御回向について
7月7日の法要にお参りすることが難しい方におかれましては、僧侶在寺時において本堂での御回向ができます。
どうぞお声をおかけください。
◎信行会は今月はありません。
◎法華経一部経読誦会(7)(1)
あつまったお坊さんとお経をお唱え致します。
興味がある僧侶の方はお声をおかけください。
◎霊跡参拝《随時》
基本的に住職がひとりで・・・御祖師様や先師先哲の足跡を辿る旅にでることがあります。
できれば毎月身延山久遠寺には・・・とは思っておりますがなかなか難しいです。
いま現在でも難しいのに、鎌倉時代の老僧達はもっと大変だったことと拝察します。
お参りした際はリアルタイムとは限りませんが各種SNS上でシェアさせていただいています。
こんなお寺もあるんだ!いいなぁと感じるお寺がありましたら是非お参りくださいませ。
6月のふりかえり
3日 キャンドルナイトin本妙院 声明公演 出仕
5日・6日 遠寿院大荒行堂研修旅行
孝明天皇の御代に上洛した荒行堂の鬼子母尊神の足跡を辿る研修旅行があり参加して参りました。
幕末期の時代とお寺の繋がり等、大変勉強になる研修旅行でした、有り難かったです。
8日 信行会
あつまった皆様とお経をお唱えして、皆で思い切り太鼓を撃ってお題目をお唱えしたのち、御祈祷、写経を行いました。
9日 法華経一部経読誦会(5)(6)
あつまったお坊さんとお経をお唱えしました。
8日→26日 夏風邪療養体制
この期間中、対外的な葬儀・一部法務・行事出仕・研修等おやすみさせていただいた。
8日午後から喉の痛みを訴え、9日夕方には頭痛と発熱(37度程度の微熱)。
翌日も微熱に加え声が出なくなったので、解熱鎮痛剤を服用しつつ大事をとり休む。
12日 38度を超えた為、投薬を求め発熱外来受診。COVID陰性、インフルA・B陰性確認。
COVIDだとしても投薬での対処療法しか出来ないと言われ薬をいた
夜になり横になると異常な程咳き込み、眠れない日々が続く。
19日 別の発熱外来受診、COIVID陰性、インフルA・B陰性確認。薬の変更。
21日 症状があるていど落ち着いてきたので、基本的な法務の再開。
24日 松久山妙蓮寺様お施餓鬼法要出仕(ネット配信あり)
26日朝 投薬期間終了。熱は平熱に落ちているが喉の痛み・声の出しづらさは継続。
26日 遠寿院清掃奉仕会・総会
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《雑感》
体調管理・喉の管理はとても大切なものとされているが、それが出来ていなかった故、沢山の方にご心配・ご迷惑をおかけいたしましたことを先ずお詫びいたします。
4月5月の予定を振り返るに、まぁ仕方ないのかな・・・と思う反面、もう少し体力があれば・・・と歯がゆく思っています。
6月12-18日、身延山久遠寺開創750年の慶讃行事が行われていました。
住職としても(声がかかれば)出仕したり、随喜参列・見学したい法要が沢山あったり、16日の声明師会の法要にも出座の予定でありましたが、
今般の体調を鑑み、出仕を断念することと相成りました。
50年後は多分出られないし、また今とも体制ややること色々異なっているでしょう。
一生に一度の機会に仏縁をいただけなかったことを口惜しく思っています。
とはいえ声明の大法要って意外と機会があるのですが、世相や体調不良で仏縁のいただけないことがかなりの高確率の様な気もしており、正直またか・・・とも思っています。
縁がないのか、まだそこに関わるには研鑽が足りない!心が足りない!そこまで甘くない!と怒られているのか、試されているのか。
悶々と考えてしまうわけです。
三界は安きこと無し、尚火宅の如し《中略》常に生老病死の憂患あり――――――譬喩品より
人間の人生ってままならないものです。
自分の意図しない、思い通りにならない病気・老い・社会情勢・環境等に我々はどうしても翻弄されてしまいます。
でも我々はついつい思い通りに動きたくなる。
動けると思い込んでしまう。当たり前に。
欲望はきりがない、あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい。
うまくいっているときは、色々な事が出来ることが「あたりまえ」の事のように感じてしまう。
けれども、病気になったとき、動けなくなったとき、譬え風邪でもなんでも、
どぎつい失敗したときでも、なんでも、
なんらかの関係性で何かしたいことを断念せざるを得なかったときでも、
ままならさに直面して、下唇をかみしめるその時に、
はじめて、
健康であることのありがたさ、
何も考えずに思い通りに動けるという「あたりまえ」のことにありがたさを感じるわけです。
布団の中でこのままダメになるのかと思いながら。
さて、7月・8月はお盆月で有り、日本では本土での空襲・決戦の恐れが一旦はなくなった終戦記念日の月でもあります。
今の我々の「あたりまえ」のくらしの根底にあるものに対して、最大限お想いを馳せる2ヶ月ではないでしょうか。
ご先祖さんだったり、戦争の不条理だったり、あたりまえが大きく転換した場面を目の当たりにした方々であったりしたひとが、今の我々のあたりまえを作っています。
この2ヶ月はそれぞれ、自分のあたりまえが本当に自分の都合だけのあたりまえなのか考えていただければと思っています。
風邪の影響も有り、7月7日のお施餓鬼法要の準備が大幅に遅れています。
私としてはいまは、目の前のやるべきことを、淡々とだけど燦々と、していくだけです。
ただいっさいはすぎゆきていきます。
時は待ってくれませんし、戻ってこないのです。
亡くなった方に「今度」はないのです。《了》