本章では、妙音菩薩がお釈迦様や文殊師利菩薩などの菩薩に会うため、娑婆世界を訪れる話が説かれます。
説法を続けていた釈尊は、眉間の白毫から光を放ち、東方の諸仏の国々を照らします。
その中の一つ、浄光荘厳国を照らし、浄華宿王智如来という仏様の説法の姿が見えます。
その弟子に妙音菩薩がおり、数々の修行を達成した大菩薩でした。
妙音菩薩は娑婆世界へ行き、お釈迦様や文殊師利菩薩たちに会いたいと浄華宿王智如来に願い出ます。
その後、娑婆世界へ姿を現し、お釈迦様をご供養します。
お釈迦様のいる娑婆世界へ行く際、妙音菩薩は浄華宿王智如来から「娑婆世界を軽蔑してはいけない」と注意されます。
妙音菩薩は心得ていたので軽蔑はしませんでしたが、私たちのいる娑婆世界は他の国から「小さく、汚く」見える部分もあります。それゆえに「穢土」や「忍土」と表現されるのです。
ただ、その娑婆世界へ行き、お釈迦様に挨拶をして供養することは、法華経を説くお釈迦様(=法華経と釈尊)への信仰が仏教の中心であることを表しています。
妙音菩薩は「現一切色身三昧」という精神統一修行を達成しています。
この現一切色身三昧は、あらゆる姿に身を現ずる三昧で、三十四身に姿を変えられ、菩薩の利他行精神を表します。人を救うために自分が相手と全く同じ姿になりきれば、この不思議なことができるというものです。
私たちも誰かを救おうとする時、相手と同じ目線に立てば、心の目では相手からは「自分と同じ」に見えるのと同じではないでしょうか。