令和6年(2024)9月より再放送が始まった司馬遼太郎原作のNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』にも登場し、坂本龍馬の海援隊に与し活躍した陸奥宗光(むつ むねみつ、1844-1897)ゆかりの邸宅跡が、要伝寺からほど近い台東区根岸にあります。現存する都内最古の住宅用洋館のひとつで、かつては「鶯谷の鹿鳴館」などと呼ばれて親しまれました。
陸奥宗光は、幕末から明治にかけて活躍した政治家で、伊藤博文内閣の外務大臣として、日清戦争の講和条約締結や列強との不平等条約の改正に尽力したことでも知られ、博学明晰でシャープな頭脳の持ち主だったことから「カミソリ大臣」と呼ばれました。
陸奥宗光が別邸として鶯谷の洋館を購入したのは明治16年(1883)頃のこと。重厚感のあるアメリカ産の松が使用された真っ白な外壁と、建物正面一面のガラス窓は、今から140年以上前に建てられた建物とは思えないほどモダンなデザインが採用されています。バルコニーのある二階は、20畳もの大広間となっており、外国人外交官を招待しパーティーが開かれる日もあったようです。
宗光は、明治17年(1884)4月から明治19年(1886)2月まで英国ロンドンに留学しますが、留守中は妻の亮子(1856-1900)と子供たちがこの家で暮しました。亮子は、宗光の先妻蓮子が亡くなった後、明治5年(1872年)に17歳で妻となり、持ち前の美貌と聡明さで、社交界では「鹿鳴館の華」と呼ばれたことで知られます。宗光が駐米公使となって共に渡米した際には、「ワシントン社交界の華」「駐米日本公使館の華」などと称賛されました。
明治10年(1877)に西郷隆盛が起こした西南戦争において、宗光が土佐立志社に荷担した罪で逮捕投獄されると、亮子は家計を支えるために日本赤十字社の社員となって家計を支えたと言います。因果関係は分かりませんが、渋沢栄一らとともにパリに渡欧し、我が国に赤十字をもたらした高松凌雲(1837-1916)が鶯谷の地に「鶯渓医院(おうけいいいん)」を開院したのも明治10年のことでした。それから6年後に宗光が当地に館を求めたのには何か理由があるかも知れません。
宗光旧別邸は、残念ながら内観を見学することはできませんが、根岸にお越しの際は、外観だけでも雰囲気を味わいにお立ち寄になられては如何でしょうか。要伝寺からは徒歩3分ほどのところにあります。
なお、陸奥宗光は、NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』(2009年/演者:大杉漣)のほか大河ドラマ『龍馬伝』(2010年/演者:平岡祐太)などにも登場しております。