須原屋と日蓮宗~大河ドラマ「べらぼう」こぼれ話~

分間江戸大絵図_安政6年・須原屋茂兵衛版(部分)

 現在放送中のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」。第5回「蔦に唐丸因果の蔓」では、いよいよ“写(しゃ)して楽しむ”「写楽」誕生の布石が打たれました。
 ところで、今回初登場となった里見浩太朗演じる日本橋の須原屋市兵衛ですが、平賀源内・森島中良・杉田玄白ら蘭学者の版元として革新的な書物を多く手がけたことでも知られる市兵衛は、江戸最大の書物問屋として名高い須原屋一統の総本家「須原屋茂兵衛」の暖簾分けにあたります。須原茂兵衛は、万治・元禄年間より明治期まで9代続き、須原屋伊八・須原屋市兵衛・須原屋佐助などを輩出し栄えました。
 中でも、茂兵衛は、近世・近代における日蓮宗関係書籍を数多く出版した書肆として、重要な位置を占めています。
 一例を挙げれば、幕末の安政5年(1858)に初版が出た中村経年著・葛飾為斎画『日蓮上人一代図会』全6巻は、日本橋通の北畠千鍾房須原屋茂兵衛はじめ須原屋新兵衛・佐助・伊八らによって版行され、広く流布しました。また、大伝馬町の文渓堂丁字屋平兵衛が慶応3年(1867)に初版本を版行した小川泰堂編述・長谷川雪堤画『日蓮大士真実伝』全5巻は、須原屋版も刷られたことが知られており、時代が下って平楽寺版・師子王文庫版・錦正社版など昭和期にいたるまで、およそ20種にわたって刊行されるロングセラーとなりました。
 明治時代に入ると、日蓮宗を主導した新居日薩によって、宗門の法要儀軌の整備が図られますが、日薩は法華経訓読の普及にも努め、明治13年(1880)9月に日蓮宗大教院から日蓮宗大教院蔵版『改正訓点妙法蓮華経』を刊行します。この大教院版の版元となったのが、やはり須原屋茂兵衛でした。以後、この法華経は、江戸時代の檀林の伝統を引き継いだ大教院・中教院の勤行で読誦され普及することになります。詳細は、寺尾英智稿「明治期における法華経の版木」(『法華文化研究』33号、2007年)をご参照ください。

要伝寺蔵日蓮宗大教院蔵版『改正訓点妙法蓮華経』全8巻(版元・須原屋茂兵衛)

 明治37年(1904)に「須原屋書店」に改称した後も、須原屋は、近代日蓮教学・教団史の発展に大きく寄与した数々の出版事業に携わります。特に、本多日生田中智学他が監修者、小泉要智が編集者となり、稲田海素らによって校訂された『日蓮宗全書』全30冊は、日蓮遺文集、遺文註釈類、宗祖および門下の伝記集、日蓮教学の論述書などを網羅した資料集成本として、明治43年(1910)より大正5年(1916)にかけて刊行されました。
 『近代日蓮宗年表』(日蓮宗宗務院、1981年)・『新編日蓮宗年表』(日蓮宗宗務院、1989年)によれば、その後も須原屋書店からは、昭和初期にかけて、園部海善註釈『改正略解法華経要品訓読』(1887年)、新居日薩校訂『一念三千論』(1888年)、古定賢正『日蓮上人の研究』(1905年)、小泉要智『聖日蓮の文学観』(1906年)、本多日生『法華経大観』(1906年)、磯村野風『修法叢談』(1907年)、小泉要智『信仰の英雄加藤清正』(1909年)、稲田海素編『御本尊写真鑑』(1912年)など数々の出版がなされています。このように宗門内外に大きく貢献した出版事業に須原屋が関わっていたのです。

中川五郎左衛門 編『江戸買物独案内 2巻付1巻』上巻,山城屋佐兵衛[ほか],文政7刊. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/8369320 (参照 2025-02-02)27コマ(部分)

 なお、『日蓮宗全書』については、当山サイト「『昭和定本日蓮聖人遺文諸本対照総覧』発刊」を、田中智学については、「宮沢賢治と鶯谷・国柱会館~5月5日こどもの日公開・映画「銀河鉄道の父」より~」〈郷土史微考〉「国柱会館の所在地を示す史料を発掘」「【推薦図書】寺内大吉著『化城の昭和史~二・二六事件への道と日蓮主義者』上下(毎日新聞社1988年)」を併せてご覧下さい。
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(文責:高森大乗)

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