こころの持ち方・身の振る舞い
わが国では現在、新型コロナウイルス感染拡大の第三波の真っ只中にあります。経済活動と感染拡大防止の両立をめざした結果、感染者は激増して一部の地域では医療の逼迫という深刻な事態を招きました。多くの人が職を失い、あるいはストレスに悩み、不自由で不安な日々を送っています。お寺でも信行活動や年中行事もやむなく休止し、規模の縮小などと不本意かつ歯がゆい思いをしています。改めてコロナ禍を過ごす私たち仏教徒としての心構えを考えたいと思います。
日蓮聖人は、鎌倉時代に大地震、飢饉、疫病などに苦しむ民衆の救済をめざして『立正安国論』を著し、「汝早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ」と主張されました。今日と同様、自然災害や疫病が続いた中で、釈尊の最上の教えである法華経の教えにもとづいて生きよと叫ばれ、それによって個々人の身の安全と社会の平安が実現すると説かれたのです。すなわちそれは、法華経信仰に生きること、分かりやすく言えば「法華経的な生き方」のすすめであったのです。
法華経的な生き方
私たちが信仰する『法華経』には、例えば慈悲心や利他の行い、汚れた社会にあっても清らかに生きる、正直でこころは柔軟に、他者を深く敬う、欲少なくして足るを知る、寛容の精神を持ち、困難に耐え忍び、人々の幸せを願うこと。そして誰もがみな等しく最高の人格を有する者(仏)になり得ることなど、成仏への教えとともに人生訓とも言うべき様々な教えが説かれています。これらを踏まえて生活することが法華経的な生き方であり、南無妙法蓮華経のお題目の実践であると言えます。
ここではその中から特に「柔和忍辱」(にゅうわにんにく)の教えを取り上げてみます。この教えは、法華経の『法師品』に示された大慈悲心や空の教えとともに仏法を広めるための三つの指針の一つとして説かれています。経典には、「如来の衣とは柔和であり、外からの影響に惑わされない忍辱の心」とあります。仏さまが身にまとう衣のように私たちもやわらかくて穏やかな性質や態度を身につけ、苦しさ、辛さ、悲しさなどを堪え忍ぶ精神を身にまとうことです。
忍辱は六波羅蜜という菩薩の修行法のひとつでもあり、侮辱や苦しみに耐え忍び、心を動かさないこととされます。今日の言葉で言えば忍耐であり、腹が立つ心を抑えて耐え忍ぶこと、外界からのプレッシャーや摩擦などに耐え忍ぶという意味もあります。
仏教では「苦しみを耐え忍ぶ場所」という意味からこの娑婆世界を忍土(にんど)と呼び、お釈迦様は最も能く苦しみを堪え忍ぶ人という意味で能忍(のうにん)と称されました。
「柔和忍辱」を心がける
最近の新聞記事にコロナ禍でこころが落ち着かず息がつまる毎日、昔ながらのオレンジの和ろうそくの炎が気持ちを和らげる、とありました。社会が一時も早く安穏となるように祈り、柔和忍辱を心がけることによって日々の生活に安らぎと余裕が生まれることと思います。マスク着用、三密回避は言うまでもありませんが、皆さんがこの機に改めて法華経的な生き方を考え、試みて頂くように願っております。
これから年末年始にかけて寒さも募り、ひととの交流も増えることでしょう。これまで以上にコロナ対策のための用心が求められます。檀信徒の皆様には呉々もお身体をご自愛頂き、お題目の信仰を支えとしてお健やかに新年を迎えて頂きますよう、祈念申し上げます。
合掌
『常圓寺寺報』第116号より