9/22 今日はお彼岸の中日でした

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

みなさんこんばんは。こちら川棚町はすっかり気温が下がって本格的な秋を感じさせる風が吹いています。「寒い寒い」という声も聞こえてくるほどです。
ところで私、本年度の日蓮宗大荒行堂「第再行」に入行することになりました。初行入行したのが平成6年ですから実に「18年ぶり」です。42才で再行、しかも18年ぶりとあって周りのお坊さんからは「何しに行くんだ?」「今さら何で?」などと揶揄される始末ですが、当人至って真剣です。
「何しに行く?」
「水をかぶりに、お経を読みに」大荒行堂へ。
以上きわめてシンプルな受け答えで、「全て」であります。他に理由など必要なのでしょうか?どこの世界も「イメージ先行」はあるようですが、それに囚われるといけません。周りのお坊さん達の「驚愕の態度」に比べると、お檀家さん、ご信者さん方は「あらーそうですかー、大変でしょうけど頑張って下さいね!」と合掌して下さいます。ご信者さん方の受け答えの方が明らかにシンプルで美しいです。私も「囚われの身」にならないように普段から気をつけたいと思います。
ということで10日ほどまえから水行を始めました。こう書くと「冷やし中華はじめました」みたいですが、これも当人は真剣です。何しろ18年ぶりの入行。入行後いきなり心筋梗塞、心臓マヒでは洒落になりませんので、「しっかり予備修行!」。今朝勤が朝5時半からなので、5時に起床してすぐに「水行」を行っています。久方ぶりの水行ですが、驚くことが色々とありました。まず何と言っても「水行をするととても清々しい気持ちになる」ということです。驚くほどとても気持ちがいいです。それと私が驚いたのは、水行を始めた日、水を一杯かぶると初行に入行したときの映像が、脳裏にフラッシュバック(=過去の出来事や情景がはっきりと思い出されること)してきたのです。

入行の日、静岡県のあるお上人が瑞門まで見送りに来ておられて、私はそのお上人とたまたま知り合いだったのですが、私が瑞門をくぐるまでの多分20〜30メートルの間、私に気付いたそのお上人が「合川君!!!頑張れ!!!!負けるな!!!合川君!!!!頑張れ!!!!」ととても大きな声援を送って下さったのです。何度も何度も叫んでくれました。10日前、そのことを思い出しながら水をかぶり胸が熱くなりました。
それから毎日朝勤前の1日1回だけなのですが、水行をする度に初行の時の色んな記憶がずるずると頭の引き出しからこぼれ出てきます。これが面白くて、これを楽しみにして今は水をかぶっています。もっとも入行すれば「1日7回の水行」そして「もっともっとはるかに過酷」なので、「楽しみ」などと言えなくなるのでしょうけど。
さて19日に始まった「秋のお彼岸」も今日で「4日目」、今日は「お彼岸のお中日」でした。お中日は毎年恒例になりました「川棚町新谷郷 八木原京子先生一門」による『呈茶』のご供養がありました。午前中から午後1時の法要が始まる前まで、ご参詣のみなさまに「お抹茶」をお出しして頂いているのです。
この常在寺『呈茶』供養の始まりは、「下組郷 松永蝶子先生」が「ご主人の供養に是非」ということで、春のお彼岸の中日にはじめられたものです。春のお彼岸の『呈茶』供養はもう15〜6年になりますでしょうか?(ご主人は平成6年にお亡くなりになっています。)
それでそれから数年後「八木原京子先生」が秋彼岸に私がいたしましょうと言って下さり、「春彼岸中日」と「秋彼岸中日」は『呈茶』供養の日となったのです。とても有り難いことです。ご参詣されるお檀家さんもとても喜んでお茶を頂いて帰られます。本当に有難うございます。
そして4日目となった愛知県法華寺ご住職「豊田慈證僧正」の高座説教ですが、今日はお中日ということもあり、たくさんの方にご聴聞頂きました。有難うございます。本当は「生で、ライブで」お説教を聴聞して頂ければ一番いいのですが、豊田僧正に特別にお願いをして「このブログに少しだけ音声を載せて良い」という許可を頂きました。
高座説教の一部分、挿話でありますが、別府大学の教授で、万葉集研究の第一人者でいらっしゃった「佐々木教授」のお話をお聞き下さい。
佐々木教授が夏休みに入る前の学生達に「両親に有難うと言ってきなさい。そして本当に言えたかどうかをレポートに書いてきなさい。」という宿題を出した、というお話です。

ほろりとなってしまいました。秋の彼岸「あと3日間!」。頑張って勤めたいと思います。みなさまどうぞご参詣下さい。
泰通拝

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

一覧へ