お寺の住職が仏事に専念できるように、縁の下でしっかりと奥さんが他のことを引き受け、住職を支えてくれていることから「寺は大黒でもつ」なんて言われることもある。
長年師父と共にお寺を支えてきた「前大黒さん」の母。元々おっとりした性格で天然ボケな感じの人であったが、度々モノが無くなったと騒動したり、頻繁にリモコンが冷蔵庫の中から出てくるようになったので、病院を受診した。そこで認知症と診断されて七年が経つ。それまで当たり前にできていたことが段々と出来なくなり、今では私の名前もなかなか出てこなくなった。
母がとる訳のわからない言動に「なんで?」「どうして?」となる中で、母に対してつい強い口調になってしまい、母と口論に…。そのあとで自己嫌悪になっている私に妻が、
「認知症の人は鏡よ。イライラした気持ちで向き合うと、相手も険しい表情になってしまう。自分が落ち着いて、優しくゆっくり向き合ってあげると、穏やかな笑顔で応えてくれるはずよ。」と諭された。
そういえば、認知症サポーター養成講座の講習会で「作用・反作用の法則」の話を思い出した。介護者の気持ちや状態が、鏡のようにそのまま認知症の人に映し出されると心得よと。
当山には、私が三回目の大荒行で相伝を授かった「大黒天」を勧請している。大黒天の柔和なお姿が示すように、いつも笑みを絶やさず、愚痴や不満は背中の袋にしっかりと封じ込め、懸命に努力すること。その功徳は、自分だけでなく周囲の人をも幸せへと導く。
日蓮大聖人は、ご信者へ宛てたお手紙の中で「親に何かしてあげたいと思っているのならば、一日に二、三回微笑みかけてあげなさい」とお示しくださっている。
このご教示に従い、我が家の二人の大黒さんへ感謝の気持ちを込めて、いつも…いや出来るだけ笑顔で向き合うように努めたいと思う。とかく「お寺は大黒(奥さん)でもつ」のだから。
(19’8 「あんのん」寄稿文を転載)