仏になれる?

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こんにちは!
西日本を襲った大寒波が過ぎ去ったあと、
本日は少し気温が上がり、ホッとしております。

さて、いつもより少し時間に余裕があったこの数日。
本を読んだり副住職に質問攻めなどをしながら
仏教や日蓮宗について知識を深めようとしていました。
毎朝のお勤め、法事や法要などに参加していても
やはり私は僧侶ではないので、分からない事がたくさんあります。

仏教とは、仏の教えではありますが、仏への道、でもあります。
お釈迦様はご自身が悟りを開かれ、出来るだけ多くの人々が救われるようにと、教えを弘められました。

ですが、私たちがお釈迦様のように悟りを開き
「仏になる」なんて、本当にできるのか?
普通の人間だった私がお坊さんと結婚し、お寺に住むようになったからと言って
仏になれるわけではないよなぁ、なんて
お釈迦様の事を知れば知るほど、
住職・副住職を始め全てのお坊さまが積まれてきた修行を知れば知るほど
そう思っていました。

そんな時、住職が法華経の教えを分かりやすく説明してくれている冊子をくださり
その中にこんな言葉を発見しました。

「仏さまは無限の過去から無限の未来への永遠のいのち
いつもみんなを安らかな仏の心にし
幸せにしたいと願い導いておられる」

≪ぴっかーん!
なるほど、そういう事なのか!
仏さまは「仏になってほしい」と願っているというより
「安らかな”仏の心”を持ってほしい」と思っておられる!≫
という事に気付いたのです。

全てのものに感謝をする。
思いやりの心をもつ。
許す心をもつ。

このような心持でいたら、苦しみを感じる事はなく
幸せでいられますよね。

とは言っても、難しいのが現実です(笑
嫌な事をされたら、ネチネチと引きずってしまったり、
日常が当たり前になって感謝出来なかったり、
しょっちゅうヤキモキヤキモキ。

ですが、そんな時でも数珠を手にかけて合掌をし、「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えると、
不思議とこの気持ちを思い出す事が出来ます。
それがきっと、「お題目の持つ力」なんだなぁと
最近感じ始めた、私なのでした。

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