高知大空襲慰霊唱題行脚

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1945年7月4日未明、高知大空襲があり、市内の大半は焼け野原になったと聞いています。
写真は高知市の中心部をんがれる鏡川の上に架かる天神橋から千枚流しをしているところです。
高知大空襲の時、人々は水を求めてこの川に飛び込みました。
しかし、その時にはすでにひどい火傷を負っており、遺体となって流れていったそうです。
そこで、僧俗一体となってご供養いたします。
そして、高知市最大の繁華街を教箋を配りながら行脚をします。
戦後50周年を期に打ち切りになったようですが、管内の諸先輩方の努力で60周年を期に再開の運びとなりました。
そして教化センター四国の協力を得て、四国中からお上人が応援に来てくれる様になりました。
高知まで来ていただいても、一切の交通費等の経費は自己負担にも関わらず、毎年10名を超えるお上人が熱い気持ちをもってお題目を唱えてくださっています。

お陰様で大きな太鼓と、大きなお題目を高知市中に轟かせることができる様になりました!

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