秋のお彼岸

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最近はお彼岸間近になると、スーパーマーケットなどで、「お供えセット」なるものが売られるようになりました。

長短ありますし、いろいろなご意見もあるかと思いますが、「お彼岸ですよ」という喚起としては、大きな効果があり、不特定多数の方が出入りする場所でのこのような宣伝は、個人的には良いかと思います。

しかし、写真のお供えものには疑問を感じます。

このお供え物、生まれたばかりの我が子、我が孫に食べさせたいでしょうか?
らくがんの品質表示を見ると、多分に科学的なものが使われ、着色料のセンスとして悪意すら感じてしまいます。

悪意というのは言い過ぎかも知れませんが「お供え物ってこういうものでしょ?」という意識のことです。

この無意識の意識が、若い世代に伝わることは避けたいです。

お供え物には「自分たちにはちょっと贅沢だけど、お供えしたい」という気持ちがあってもいいのではないでしょうか?

お供えと言えば、年がら年中菊の花に樒があって、1年中リンゴとミカン。。と言うわけではないと思います。

日本には四季があります。

季節の花に、時季の果物こそが、お供えする生きている我々も「美しい、美味しい」と思い、だからこそ「お供えしたい」と思うはずです。

「お彼岸ですよ」という喚起をスーパーマーケットがやってくれているのですから、その本当の心は我々がしっかりと伝えていかなければならないと思いました。

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