【千光山 清澄寺】

【清澄寺】〈大堂(摩尼殿)〉

⭐️【千光山 清澄寺】 (千葉県鴨川市)
🪷日蓮宗本山紹介・2 , 🪷漫延山御縁寺院等紹介・2

“日蓮聖人”の出家(俗世の価値を捨て、仏道に入ること。)得度(僧侶になるための儀式。)の霊跡であり、また、諸国遊学・諸宗研鑚後に末法の世を救済されんと立教開宗🙏📿をされた大本山です。『日蓮宗』の僧侶への志を持った者は、この聖地に於いて、僧侶になる前の最初の認定を受ける度牒(得度した見習い僧に「沙弥」の身分が交付される。)の為、必ず訪れる寺院です。
“日蓮聖人”は12歳の時に、当時『天台宗』であったこの寺に登り(幼名“善日麿”から“薬王丸”に改名。)、“道善御房”を師として行学に励み16歳で出家得度(“是聖房蓮長”と号されました。)されました。“日蓮聖人”は【清澄寺】の本尊であった“虚空蔵菩薩(当時の像は現在の【大堂】に奉安されている像の胎内に納められていると伝わっている。)”に「日本第一の智者となしたまえ」と祈願され、以来、諸国遊学・諸宗研鑚をされてゆく中で“お釈迦さま”の本意は『法華経』にあり、『法華経』こそが末法の世のすべての人々を救うことのできる唯一の経典であることを確信されます。そして、十有余年にわたる遊学を終え、“道善御房”の師恩に報い、両親に大善を施したいとの知恩報恩の御心により【清澄寺】に戻られた“日蓮聖人”は、建長5年(1253年)4月28日早朝、日本で一番最初に日の出を排する清澄山の〈旭が森〉山頂に立ち、朝日🌅に向かって「南無妙法蓮華経」と『お題目』を唱えられ、末法の大導師として立教開宗の宣言をされて伝道の誓願を立てられました📿。同時に名を“日蓮”と改められます。御年32歳でした。
【清澄寺】の縁起とては、約1200年の昔に"不思議法師"と名付けられた僧侶が“#虚空蔵菩薩 ”の仏像を彫り祀ったことに始まり、800年代に【比叡山延暦寺】中興の祖“慈覚大師円仁師”が、その仏像の前で修行をして以降は『天台宗』の寺院となりました。江戸時代初期に『真言宗』の住職が招かれたことで改宗となりましたが、江戸時代後期から法華信者の〈旭が森〉登詣が増え、大正12年に“日蓮聖人”の銅像完成を経て、『真言宗智山派』と『日蓮宗』との間で話し合いがもたれ、昭和24年(1949年)に『日蓮宗』に改宗し大本山として現在に至ります。
寺院名は「セイチョウジ」ですが、通称は地区名の「キヨスミ」と呼ばれて親しまれています。

主要見所
📎〈大堂(摩尼殿)〉・・・中央の“虚空蔵菩薩”をはじめ、諸明王・諸天等を祀る【清澄寺】の本堂。“虚空蔵菩薩”は、智慧と福徳を人々に授ける菩薩です。“日蓮聖人”の逸話としては、「日本第一の智者となし給え」と願を掛けられてから、ある時、“虚空蔵菩薩”が聖人の前に高僧となって現れて智慧の宝珠を与えられたと伝わります。
📎〈祖師堂〉・・・“徳川家康公”の側室で“徳川光圀公”の祖母にあたる“養珠院(お万の方)様”の奉納とされる日蓮聖人像が祀られています。
📎〈宝物館〉・・・いろんな宗派になった歴史を持つ【清澄寺】に伝わる仏像や、“日蓮聖人”ゆかりの品が展示されています。
📎〈凡血の笹〉・・・“日蓮聖人”は“虚空蔵菩薩”に願を掛けられて21日間の断食行を行いました。満願の日にお堂から出てきた“日蓮聖人”が吐かれた血が笹の葉に飛び散り、今でも葉には黒い斑点があります。人々は「いらなくなった凡人の血を吐かれたのだ」と考え「ぼんけつのささ」と呼ぶようになったそうです。
📎〈旭が森〉・・・“日蓮聖人”が『お題目』を始唱された場所。幾重にも連なる山々と太平洋を昇る朝日の荘厳な景色は「日本の朝日百選」🌅に選ばれ、日本で一番早く初日の出を拝める寺として注目されています。立教開宗の御姿を映すココの日蓮聖人像は、“日蓮聖人”の志を受け継ぐ者に、その信念を抱かせる力強さを感じさせます。

📎〈千年杉(清澄の大杉)〉・・・境内にそびえる樹高約45m・幹回り約14.5mの巨樹杉(全国の杉の巨樹第4位)🌲です。国内の杉番付で東の横綱に選ばれたこと(数本の幹から成った合体杉ではなく、単幹の杉として珍しいそうです。)もある国指定の天然記念物になります。

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