漫延山 妙楽寺について

妙楽寺開山“大覚大僧正”

“大覚大僧正妙実上人”は、日蓮六老僧の一人“筑後房日朗上人”の実弟で“日蓮聖人”の直弟子でもあった“龍華樹院(肥後阿闍梨)日像上人”の弟子で、『日蓮宗』の大本山の一つに数えられる京都布教の拠点【具足山 妙顕寺】の第二世です。
出生については二説あり、摂政“近衛経忠”の子とするものと“後醍醐天皇“の第三皇子恒性親王とするものがありますが、いずれにせよ「高貴の出」であることは確かなようです。初めは他宗の僧でしたが17歳の時に、“日蓮聖人“直々に京都布教の遺命を託されて上洛していた“日像上人“の説法を聞いて弟子となり、“妙実“の名を与えられました。“大覚妙実上人“は、【妙顕寺】の開基である“日像上人”を助けて宮中や幕府へ日蓮教義を説いて【妙顕寺】を天皇の勅願寺や幕府の祈願所にする等、『日蓮宗』を朝廷や幕府の公認教団へと認めることに尽力されました。康永元年(1342年)に【妙顕寺】の第ニ世に就任。またその一方で宗門で初めて畿内や瀬戸内諸国を布教して廻り、末寺や信者の獲得に努められました。特に備前・備中・備後の三備地方に於いては、“大覚妙実上人”の開基・開山寺院が52ヶ寺も数えられています。
延文3年(1358年)、天下の日照りがあり、諸宗が雨乞いを修したが効果なし。その中、“大覚妙実上人“は“後光厳天皇”の命により桂川の畔にて『法華経』を読誦して祈祷を行い、程なくして効験を現しました。その功績により、“日蓮聖人”に『大菩薩』の号、“日朗上人”と“日像上人”に『菩薩』の号を賜り、“大覚妙実上人“は『大僧正』に任じられました。
貞治3年(1364年)4月3日、68歳で逝去。

一覧へ