【長栄山 本門寺(池上本門寺)】

【本門寺】境域への入口〈総門〉と〈此経難持坂〉

⭐️【長栄山 本門寺(池上本門寺)】(東京都大田区)
🪷日蓮宗本山紹介・4

日蓮宗大本山の一つで “日蓮聖人”御入滅の霊跡。聖人の命日10月13日に行われる『お会式』は前夜(お逮夜)から数十万人の参拝者が訪れる祭りとして有名です。
文永11年(1274年)に大檀越の“池上宗仲公(開基)”が一寺建立を志し、【池上氏館(“日蓮聖人”御入滅の館。現在は【長崇山 本行寺】となっている。)】の背山上に建立された一宇を聖人が開堂供養して【長栄山 大国院 本門寺】の号を授与されたのが起こりとされます。 宗祖御入滅後、“宗仲公”は『法華経』の字数である69,384坪の境内地を六老僧の1人“ 大国阿闍梨 日朗上人”に付属。以来「池上本門寺」と呼びならわされています。“日朗上人”が第二世となり、以後「日朗門流」の拠点として発展しました。

主要見所
📎〈大堂(祖師堂)〉・・・太平洋戦争の空襲により焼失後、昭和39年(1964年)に再建された【本門寺】の本堂になります。
孝養を重んじらていた“日蓮聖人”は御入滅の時まで肌身離さず御生母“妙蓮尊尼”の遺髪を持たれており、ココに鎮座される祖師像は、右手にその遺髪を差し込んで作られた払子を持たれて(左手には『妙法蓮華経 第六巻』。)います。そして、この祖師像は、ありし日のお姿を映した「生身の御尊像」と呼ばれています。
外陣には“川端龍子画伯”の遺作となった『龍図』の天井画がありますが、“川端画伯”は完成をみることなく逝去され、“奥村土牛画伯”が画竜点睛した(それでも、未完ゆえ龍と判別しがたいと言われることも。)ことで有名です。

【池上本門寺】〈大堂(祖師堂)〉

【池上本門寺】〈三門〉から覗く〈大堂(祖師堂)〉

📎〈多宝塔(池上本門寺宝塔 ・ “日蓮聖人”御荼毘所)〉・・・当初は御灰堂があり、開基檀越の“池上宗仲公”が多宝塔を作って、“聖人”の御余灰を中に盛って奉安したと伝えられています。現〈多宝塔〉は天保元年(1830年)の建立で、全国でも殆ど類例がない内部構造を持つ宝塔形式の建造物で、華やかな装飾性を有しています。『御会式』のうち12日および13日午前中のみ開扉されます。  

【池上本門寺】〈多宝塔(池上本門寺宝塔 ・ “日蓮聖人”御荼毘所)〉

📎〈御廟所〉・・・境内最奥にあり、“日蓮聖人”の御灰骨を奉安する墓塔を廟堂内中央におまつりしています。空襲戦災後、昭和54年(1979年)、に復興。
📎〈五重塔〉・・・江戸幕府2代将軍“徳川秀忠公”の乳母“岡部局”が願主となり、“秀忠公”が建立・寄進し、慶長13年(1608年)に完成した関東に現存する最古の五重塔です。4月の第1土・日曜に行われる『五重塔特別祈願』において開扉されます。

【池上本門寺】〈五重塔〉

📎〈霊宝堂〉・・・“日蓮聖人”御持物や御遺文真筆等、が保管されています。展示物は毎月変わり、土・日曜及び祝日のみの開館です。
📎〈松涛園〉・・・【本門寺】北側に位置する奧庭。【本門寺】は戊辰戦争の新政府軍の本陣が置かれた場所で、この庭園の東屋にて“西郷隆盛”と“勝海舟”との【江戸城】無血開城の会見が行われました。一般公開期間以外には一般の方の入園は出来ませんが、〈客殿〉や複合施設〈朗峰会館〉から眺めることはでき(会館内の【人形町 今半 池上本門寺店】なら食事をしながらも。)ます。

📿 聖人入滅の地『池上』には【日蓮宗宗務院】・【日蓮宗新聞社】があり、宗門総務の中枢となっています。

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