「蓮」の教え

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境内で寺庭婦人が丹精している蓮が次々と花を咲かせています。
蓮は花も見事ですが、開く前のつぼみの姿も美しいです。

蓮は私たちが日頃お読みしている経典『妙法蓮華経』のタイトルにも含まれており、とてもご縁が深い花です。

京都日蓮宗青年会が発行している布教誌「るふ」(234号)に「蓮」に関してわかりやすい教えが説かれていました。
以下に引用させていただきます。(一部加筆修正あり)

『妙法蓮華経』の原題はサンスクリット語で「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」といい、「白蓮華のように最も優れた正しい教え」と訳されます。
これは蓮の花が優しい彩りを持っていると同時に、その足元へと目をやると汚れた泥の中から生まれ育つという特徴があるためです。

『妙法蓮華経従地涌出品第十五』に「不染世間法 如蓮華在水(世間の法に染まざること、蓮華の水に在るが如し」とあり、よどんだ泥の中にあってもそれに染まらず清らかな花を咲かせる蓮は、俗世においても、さまざまな逆境や悩みを栄養として、仏さまの教えを信じ生き抜くという法華経の教えの象徴とされています。

このため、日蓮聖人は「蓮」の一文字をお選びになり自らの僧名となされました。
末法の世だからこそ、泥中の蓮華のように清らかでありたい、仏さまの教えを正しく伝え、衆生を救いたいという日蓮聖人の決意が伝わってまいりますね。

また蓮の花びらが落ちたとき、その種が姿を現します。蓮の種はすでに形が整った状態で花の中に備わっており、これを先人は「仏さまになる素質」の象徴として受け取られました。
仏教では「仏種」と呼び、目には見えませんが命あるものすべてに備わっております。
正しくこの種を育てればいつか芽を出し、花を咲かせることになります。

このように「蓮」にはさまざまな仏さまの教えが込められているのです。
私たちも日々『南無妙法蓮華経』のお題目をお唱えし、仏さまやご先祖様への感謝の気持ちを忘れることなく精進することで、蓮の種を正しく成長させましょう。
 

 

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