法要にもいろんな種類があることは皆さまもご存知だと思いますが、大きく分けて法要は「回向」と「祈願」に分けられます。
「回向」とは追善供養、年回忌法要、通夜葬儀などの法要です。お寺で一番多い法要であり、皆さまに一番馴染みがある法要です。
「祈願」とは神や仏さまに現世における利益を祈ることです。心願満足、身体健全、当病平癒、家内安全、発育円満、商売繁盛などたくさんあります。日蓮宗では祈願の法要も盛んです。
実はこの2つ以外にも大事な法要があります。しかしながら、日本の仏教ではほとんどされていないところが多いです。
それは「懴悔」です。
日蓮宗が依りどころとするお経「妙法蓮華経」はまさに懴悔滅罪のお経です。
「懴悔」と見ると、皆さん「ざんげ」といいますが、「ざんげ」という言い方はキリスト教の言い方でございまして、罪を告白し、悔い改めて神の赦しを請う行為のことです。仏教では「さんげ」と呼び、仏教の方が歴史が古いのであります。
お釈迦さまが最後に残したとされる「遺教経」の中で「懺恥の服は諸の荘厳に於て最も第一となす」と言っております。人間は罪を犯さずには生きていけません。しかしながら、自分の犯した罪を知って恥ずかしいと思う心を持つことができれば、それはどんな服装・装飾品よりも美しいという意味です。
仏教では、僧たちは「サンガ」という集団で世間を離れて生活していました。集団生活にはルールが必要なように、サンガにも修行者のルールが決められました。それが「戒律」です。「戒」とは僧としての戒めであり、「律」とは法律でありサンガの生活で守らなければいけない規則です。
しかし、ルールを決めてもそれを破ったり守れない人たちがいる。そこで、月に2回、修行者が集まって布薩(ふさつ)という反省会をしました。戒律違反を他の修行者から指摘を受けたり、自身で皆に告白して、その違反に相当する罪を受けるのです。
この習慣が儀式化され、大乗仏教にもそのまま残ったというわけです。大乗仏教は中国、韓国を渡り日本に伝えられます。中国では6世紀半ばに懴悔の儀式が「懴法」(せんぼう)として盛んに行われ、中国天台宗では「法華経」に依ったので「法華懴法」が作られ、これが日本天台宗に受け継がれ、そこから日蓮宗の「法華懴法会」に繋がってくるわけです。
以上、簡単な懴悔の歴史について。次回は懴悔の内容についてお書きします。