世の中の動植物、生き物はどれも等しく生存・生殖活動をすることで生命を次の世代に受け継いでいきます。
人間も例外ではありません。ただ人間の場合は生存・生殖だけに生きているとは思えません。
動物や植物の場合は与えられた境遇やその環境に従って生きています。
しかし、人間は与えられた境遇や環境には満足しません。
人間はその境遇や環境に働きかけて、与えられたものを変化させ、無かったものを新しく創り出すことによって、
自分たちを「より豊かに」「より便利に」しようとします。
この心は何でしょうか?
例えば、もっと食料がたくさんあれば色々選べたり、食べたりできるのに。交
通手段がいろいろあったら、自由にあっちこっち行くことができるのに。
この「豊かになりたい」「便利にしたい」という心。
この心はまさに「思うがままに」「欲するままに」したいということです。
つまり「自由欲」なのです。
勿論、動物にも自由欲はあります。
鳥は自由に空を飛び回り、犬や猫は自由に駆け回ったりします。
しかし、その大部分は「本能」としての衝動であり、ほぼ「感覚」だけで自由を欲しています。
しかしながら、人間の場合は「本能」としての「感覚」だけでなく、「意識」も持っています。
動物は本能としての無意識の自由欲ですが、人間は「意識」からの自由欲なのです。
「思うがままに」「あるがままに」という自由を可能にするためには人よりお金や地位、権力が必要となります。
それが、「支配欲」「権力欲」「名誉欲」となって出てきます。
たとえ、どんなに貧しい生活をしていた人でも、急に大金が手に入れば、まず食べ物を求めます。
食が満たされれば、良い服を求めます。そして、余裕があると新しい家を求めます。
さらに余裕があると人にもよりますが異性遊びを求め、生存欲と生殖欲が「より豊かで便利な」生活を求めます。
これらが満たされると今度は「自由欲」を満たそうとします。それが、「支配欲」「権力欲」「名誉欲」です。
一度は大臣になりたい、政治家になりたい、社長になりたい、店長になりたい・・・という声はどこの会社でも聞く事ではないでしょうか?
これがこじれると家族や自分を顧みず、支配的な地位や有力な権力に全てを投げ打っている人もいます。
しかし、これは、地位や権力を得ることで生存・生殖欲を満たそうとしているので、欲望としては何もおかしなことはないのです。
これら欲望は「羨望」や「嫉妬」から起こります。
自分ができず、他人が思うままに気持ちよく振る舞っているのを見ると、自分も「ああなりたい!」と思うことがあると思います。
他人ではなく、「自分が」思うままに、欲するままにしてみたい!
つまり、他ならぬ「私が」したいのです。
前ブログで仏教では私たちの住んでいる世界を「欲界」といいました。
実はこの欲界の最上位にいるのは「他化自在天」(たけじざいてん)という神です。
この神様は他を自分に変化させ、自分の意のままに自在に他を従わせる最高の悪魔の神です。
まさにこのことは人間の欲望の中で自由欲が最高であることを象徴していませんか?
これら生存欲、生殖欲、権力・支配欲、名誉欲、自由欲・・・・飽くなき欲望。
これら全てが「私が」という「自我」から生まれるのです。
つづく