「あるがままの人生」とはどういったものでしょうか?
私たち人間は生まれてこのかた、
寝て食って成長し。
大きくなれば食って寝て、営々と働き。
伴侶を見つけ、子どもができれば、
その世話に勤しみ。
そして、気づいたら歳をとって死んでゆく・・・
私たちのご先祖さまもしかり、今生きている私たちの誰しもがこの「娑婆世界」に生まれれば、この決められたコースから逆らうことはできません。
この世に誕生した瞬間から私たちは「死」に向かっていきます。
この娑婆世界は「苦」で満ちあふれている世界です。
「苦」とは思い通りにならないことです。
私たちはその「苦」に出会うとき、自分や自分の人生について考えます。
誰しもが幸せになりたいと思い、「ああしたい」「こうしたい」と願いますが、そのほとんどは「ああもならない」「こうもならない」という結果に終わります。
また、ふと人の話を聞いたり、テレビなどを見れば、殺人・火事・事故・病気・戦争・詐欺・虐待・いじめなど・・・・
まさにこの世の中は「一切皆苦」です。
仕事にしても。
朝早くから夜遅くまで仕事をする・満員電車で通う・客や上司に理不尽に怒られる・・・・
「なぜこんなに苦しい思いをしなければいけないのか」
「それは、生きていくためだ」
「では、なぜ生きていかなければいけないのか」
「・・・・」
果たして「答えられる」人はいるでしょうか?
でも、なぜだか分からないけれども、とにかく私たちは生きていたいのです。
生きるためには、食わなければいけません。また、裸ではいれないから服も着なければいけません。そして、安心を得るために家にも住まなければいけません。この衣・食・住は生きるために必要ですが、逆に衣・食・住のために私たちは苦しみます。
どんなに死にたいと思っている人も老衰で死ぬ間際の人も、「もし生きることが許されるのなら」もし目の前の苦がなくなるなら、「生きたい」と思うのが人間です。
では、この「生きたい」という欲望の次に強い欲望はなんでしょうか?
それは「食欲」と「睡眠欲」です。
そして、「食欲」と「睡眠欲」が満たされると、次に来るのが成人の場合、「性欲」になります。
性欲は人間の生命に直接関係ありませんが、もし人間に性欲がなければ、人類は滅んでしまいます。
「食べること」「寝ること」が「生きたい」という本能の表れとすれば、「子供をつくること」は人間の「子孫繁栄」という欲望の表れになります。
人間は幾千万年の昔から多くの文化や文明を築き、近年では科学を発達してきました。
「人類の文化に貢献している」「これが文化だ」と言っても、ある一面から「文化・文明・科学」を見れば、衣類・食品・建物・薬品・化粧品・機械などその大半は私たちの衣食住をより豊かにすることに他なりません。
太古の人間生活も現代の人間生活も「食べること」「寝ること」「子供をつくること」という生存欲や生殖欲を満たすため、その欲望に追い回されて生きていることに違いはありません。
違いがあるとすれば、発達した文化や文明が、この生存欲や生殖欲などの「欲望をより豊かに便利にした」という点です。
仏教では私たちが住む世界を「欲界(よくかい)」と呼びます。
「欲望の充足を求める世界」
まさしく私たちの世界を端的に表している言葉ではないでしょうか
みなさんは欲望の充足をすることを「あるがままの人生」としていますか?
また、果たして「食べること」「寝ること」「子どもをつくること」が人間の全て、「あるがままの人生」なのでしょうか?
つづく