当山山門の「供養塔」

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当山の山門左手には、お題目の刻まれた大きな石塔が建っています。
大正3年1月のの建立と言うことですから、ちょうどそれから丸100年が経ったことになります。
那須疎水の開削、黒磯駅の開設により「黒磯」の街が形成され、明治45年に東那須野村から黒磯町が分立して間もない時期です。
それから戦争を経て、昭和45年に黒磯市となり、更に平成17年那須塩原市となって現在に至るまで、大きな変化のときを見つめてきた塔と言えるでしょう。
東日本大震災の折にも、周りの石灯籠が倒れてしまった中でびくともしませんでした。

日蓮宗新聞の1月20日号でこの塔が紹介されました。
ご参拝の折には、こちらの塔にも目を向けて、合掌の上でその姿を拝して頂きたく存じます。

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