建長(けんちょう)5年(1253年)4月28日、
京都や奈良でのご遊学から戻られた日蓮大聖人が、
生まれ故郷である千葉県小湊の清澄寺で法華経の弘通を宣された聖日であります。
清澄寺と当黒磯の地は、実はご縁があります。
かつて黒磯に存在した『日野木材』という会社の社長日野隆司氏。
当山のかつての本堂(現在客殿として使用)は、明治末に親園村より移転した折、当初本堂の新築を志しつつも、建設半ばの暴風被害などでそれが成らず、やむなく近くの遊郭の廃材を利用して建てられたもの、と聞いております。
それから約半世紀の後、日野氏は当山のお檀家さんというわけではありませんでしたが、篤信の法華経信仰者であり、当黒磯の法華道場に立派な本堂を!とのことで、他の檀家さん達とも協力して現在の本堂を建立し、更に荘厳具など一式を寄贈されたのでした。
一方清澄寺への道路は、現在自動車で境内まで入れるようになっていますが、かつてはそれを許さない細い山道であったそうです。
現在清澄寺境内に「千年杉」が一本立っておりますが、かつては二本並び立っておりました。
昭和29年の台風でその一本が倒れてしまい、その倒れた木材を運搬したのが日野氏なのだそうです。
道を切り開きトラックが入れるようにし、しかもその木材を運びこんだのが黒磯の日野木材工場。
そういった縁もあってか、信育道場(現在は新築され別の建物)を建立するなど、清澄寺にも多大なる貢献をされ、現在でも同寺には当時の湯川日淳猊下と共に日野氏の肖像が掲げられております。
東日本大震災でも持ちこたえた当山本堂は、当黒磯の地における日野氏の功績を今に伝えております。