ミニマリストという生き方

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近年、多種多様のライフスタイルが提案されています。
ちょいワル・ノマドワーカー・断捨離・etc
そんな中、最近私のアンテナに触れたのは“ミニマリスト”という言葉です。
ミニマリストとは・・・
身の回りのモノを限りなく減らし「最小限のモノ」だけで暮らす人々。若い世代を中心に、そのライフスタイルが共感を呼んでいる。(NHKニュースおはよう日本より)
との事です。
このライフスタイルの良し悪しは別として、限りある資源を大切に使い、周りの人々とモノを共有するという流れは悪いものではないなと感じます。
 
ところで皆さん。
この最近流行ってきた感のある“ミニマリスト”というスタイルが何千年も前から存在していた事をご存知でしょうか?
実は、お釈迦様に代表される沙門(しゃもん)達は立派な“ミニマリスト”でした。
※沙門とは出家修行者を指します。
 
沙門の所有物は三衣一鉢(さんねいっぱつ)と呼び、用途の異なる衣3枚と托鉢用の鉢1つだけが所有物でした。
ミニマリストの究極系かもしれませんね。
 
沙門達は出家者の為、社会の義務も権利も無い、極めて非社会的な存在です。
一般に出家者達は、社会と関わる事なく独自の道をゆく人々、と思われがちですが、実は違います。
 
沙門達は生産に関わる事を禁止されています。
ですから畑を耕し食料を得る事も、商売をして金銭を稼ぐ事も、出来ません。
 
ではどのように生きているのでしょうか?
それは社会に依存して生きているのです。
托鉢をして食料を頂き、教えを説き建物や土地を寄進してもらっているのです。
沙門は非社会的な存在だからこそ、100%社会に依存して存在しているのです。
しかし当然、沙門達は頂くだけではありません。
 
インドの社会では、しっかりと修行している人であればある程、その人に食べ物や土地等の布施をする事で、自分へ多くの功徳がもたらされ、社会的な成功や個人の幸せにつながると考えられています。
これを「福田思想(ふくでんしそう)」と呼びます。
 
つまり沙門と社会は相互の依存関係にあり、沙門は社会側と価値の交換をして成り立っていたのがインド社会でした。
 
昨今の流行である“ミニマリスト”がもたらした大きな思想の転換は“所有”から“共有”への価値転換にあると思います。
この価値転換はとても大切な事だと思います。
 
しかしミニマリストの先輩達“沙門”の共有思想は物質だけに留まりませんでした。
それは「幸せ」という目に見えないものの共有化が本質です。
つまり沙門のミニマリストとしての真価は幸せの共有化に表れます。この「幸せの共有」が社会と出来なければ沙門としてのスタイルも続けられない事になります。
沙門は自分が修行を一生懸命する事が他者の為にもなり、それにより自己の幸せと他者の幸せを実現する事になります。
一つの行為が自他の幸せを同時に実現する。
まさに“幸せの共有”です。
 
私達は沙門では無いし、多くの方がミニマリストでは無いと思いますが、自分のやりたい事で周りの人が喜んでくれたら幸せな毎日だと思います。
 
世間で流行るミニマリストという生き方。
この流れがモノを少なくし、モノを共有して使うという思想で留まる事なく“幸せ”を共有する為、自分の幸福と他者の幸福を重ねて行動する、沙門的なスタイルまで深化されれば素晴らしい事だと思います。

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