LINE法話「どんな毎日でも」

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みなさまは、どのような毎日をお過ごしでしょうか?
お仕事に家事に精一杯でお忙しい毎日でしょうか。
それとも、悩みごとの多い毎日、もしくは、生きている実感があまりわかない毎日でしょうか。

はたして今のままの日々でよいのだろうか、などいろいろ考えてしまいますよね。

お釈迦様と、そのお弟子さんのエピソードに毎日を豊かにする見方のヒントがあります。

ソーナという名前のお弟子さんがいらっしゃいました。
ソーナはとても厳しい修行をしているのに悟りがえられず、悩んでいました。

「私は仲間の中で一番といっていいほど厳しい修行をしている。それなのにいっこうに悟りの境地にいたれないのはどうしてなんだろう。こんなことでは、むしろ修行をやめてしまったほうがよいのではないだろうか。幸い私の家には財産がある。あれだけの財産があれば豊かな生活を営むことができる。修行をやめて、今までの生活にもどったほうがよいのではないだろうか」

お釈迦様はソーナの迷いを知って、彼に会いに行き、ソーナは心の内をあるがままにお釈迦様にお話ししました。すると、お釈迦様は彼にこう話しました。

「ソーナよ、なんじは楽器の琴を弾くことがたいへん上手であるということを聞いているが、そう
であるか」

「はい、少々、琴を弾くことを心得ておりました」

「それでは、ソーナよ、よく知っているだろう。琴を弾くには、絃を強く張っては、良い音がでぬ
のではないか」

「はい、さようでございます。」

「かといって、絃の張りかたが弱すぎたら、やはり、良い音はでないであろう」

「はい、まったくそのとおりでございます」

「では、どうすれば良い音をだすことができるか」

「それは、あまり強すぎず、あまり弱すぎず、調子にかなうように整えることが大事です。そうでなくては、良い音をだすことができません」

「ソーナよ、仏道の修行も、まさに、それと同じであるということを承知するがよい。心と体を苦しめすぎては、心がたかぶってしまい、落ち着かない。ゆるみすぎると、なまけたり、おろそかに向かってしまう。ソーナよ、ここでもまた、なんじはそのどちらにも偏らない、中をとらねばならない」

お釈迦様の琴の絃のお話を心にいだいて修行に励んだソーナはついに悟りの境地にいたることができたそうです。

ソーナは、絃の張りが”強すぎる音”と”弱すぎる音”、両方を知っていたからこそ、良い音がどういう音か、どうすれば良い音をだすことができるかを知っていました。

私たちの毎日もまた、同じことが言えると思います。

私は学生時代、非常にぐうたらした毎日を送っていました。
学校を卒業して就職した会社は、非常に残業が多く、心身ともにぎりぎりの毎日でした。

どちらの生活も、充実してるなーという実感を持ったことはありません。

しかし、どちらも経験したからこそ、その、どちらでもない生活をしたとき、とてもありがたいなと思えるようにもなりました。残業続きで辛かった過去の自分に、今の自分はどのように声をかけるだろうと、お坊さんの勉強を始めたころから考えてきましたが、いまだによい言葉が見つかりません。

それでも、過去の自分が、ぐうたらもぎりぎりまで頑張ることもできたからこそ、今気づけたことがあるなら、どの自分も有り難い存在だなと思っています。

みなさまも、みなさまの立場で、毎日と向き合っておられることと思います。

理想の毎日はあるけど、それが叶っていない、それでも、そんな今の自分も尊いのだと思えてくださったらいいなと思うと同時に、これから先、みなさまの毎日が、良い音が響く、琴の絃のように、張りのある毎日に近づくとことができたらいいなと願っています。

それでは、みなさま、今日も気を付けて、いってらっしゃい。
 

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