昔話に「肩掛け地蔵さま」というお話があります。
肩掛け地蔵とは肩を寄せ合うように並んでいるお地蔵様です。 その近くに信心深い重兵衛という男が住んでおりまして、いつもお地蔵様を熱心に拝んでおりました。
そんなある夜、 重兵衛の夢にお地蔵様が現れ、このように伝えられました。
「何でも望む好きなものを貸してあげよう。 欲しい物の名前を言い、 私達の肩の間をくぐりなさい」
翌朝、重兵衛はお告げのとおりに「新品の鍬を貸して下さい」とお願い事を言い、肩の間をくぐり抜けると、なんと欲しかった新品の鍬を手に入りました。 よろこんだ重兵衛は早速その鍬で畑仕事を行いました。
そして最後には丁寧に洗い、お地蔵様へとお返ししました。
その数日後、村人との寄り合いがある重兵衛は、今度はお椀とお膳を借りました。
只、このお椀とお膳がとても綺麗で立派だった為、重兵衛の心に欲が生まれます。
「お地蔵様から借りたものだが、1つくらい返さなくてもバレないだろう」
なんとお膳の一式を隠し持ち、お地蔵様には返すふりをしてしまいます 。
また数日後、次は臼と杵を借りようと重兵衛はお地蔵様へと向かいます。いつものようにお願いしながら、肩の間をくぐろうとしましたが、どうしても通ることが出来ません。
その時、どこからか声がしました。
「重兵衛よ、まだ貸したものを返していないだろう」
重兵衛は急いでお膳をお地蔵様へ返し、 一生縣命にお詫びの言葉をいいました。しかし、 二度と何かを貸してはもらう事は出来ませんでした。 それ以来、 反省した重兵衛は騙すような事は言わなくなり、お地蔵様への信心をいつまでも忘れなかったそうで御座います。
このお話は借りた物はきちんと返す事の大切さを教える昔話として残っていますが、 他にも信心の大切と自身の言葉の責任と重みを学ぶ事ができます。
宗教において大切な信心・信じるの「信」という字は、 「にんべん」つまり「人」に「いう」という字を書きます。 これは人々が神仏に祈り誓いを立てることを示しているそうです。
言葉は、 かつては口から口へ、口伝により言い伝えられ、 やがて紙にも書き記され、 姿を少しずつ変えながら現代まで伝わっています。私達が目にしているお経も、そのような流れで伝えられお釈迦様の教えを現代の私達へと届けてくれています。
そして、そこには先人たちの苦労が偲ばれます。
私達の周りには沢山の言葉で溢れています。 言葉は人と人を繋ぐ大切なコミュニケーションツールです 。
文字のない時代、記録する事が出来ない当時の人々は、神仏の前で約束を交わし、 言葉に絶対の信頼を寄せ、 互いの関係を築いてきました。 かつての言葉は今とは比べ物にならないくらい重みがありました。
しかし、昨今はどうでしょうか?
SNS 全盛期と言われている現代では誰もが言葉を巧みに操りながらも、簡単に飛び交うネット上の心ない言葉の数々には言葉の重みが無く、真偽のわからない情報には言葉の信用がありません。
そのような中で、人を信じられないという方も少なくありません。
本来、言葉に乗るはずの「信頼」「信用」 「信心」といった「信」が失われつつあります。
日蓮聖人のお言葉に『仏道に入る根本は信をもて本とす』というものが御座います 。
例えば、 お経の意味がわからなくとも「「信心」 をしっかりと持てば仏様へ近づくことが出来ます。
逆に、 「「信心」がなければ、どんなに賢くても、言葉が達者でも、信頼、信用されない人になってしまいます。 「信心」 とは仏様の教えを受け入れる事です。 謙虚な心を持ち、 人に優しく、 慈悲の心を持つ事です。
時には信心を見失う事もありますが、「肩掛け地蔵さま」の重兵衛が省みたように、 自分自身を振り返ってみてはいかがでしょうか。この法話がそのきっかけになっていただければ幸いです。
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