皆様こんにちは、木々の葉が色づき、秋も深まって参りましたが、いかがお過ごしでしょうか。
今回は、仏教伝道協会から発行されている『さとりの知恵を読む』の一節を紹介させていただきます。
「これはわが子、これはわが財宝と考えて、愚かな者は苦しむ。おのれさえ、おのれのものでないのに、どうして子と財宝とがおのれのものであろうか。」パーリ法句経より
「自分が自分のものではない」というのは、難しく聞こえるかもしれませんが、実はとても身近なテーマだと思います。
例えば、我が子というのは自分の分身と言ってもいい存在だと思います。また、自分の財産はみずからが努力して稼いだもので、もちろん自分に所有権があります。
しかし、だからといって、子どもも財産も、自分の自由になるものではありません。子どもは親の期待に反して、言うことを聞かなかったり、病気になってしまったりします。子どもといっても、独立した一つの人格です。親とは意見も行動も違います。なかなか自分の思い通りにはなりません。
財産にしても、様々な理由で減少したり、なくなってしまったりすることがあります。例えば、不景気に巻き込まれ会社が倒産してしまったり、災害で家が倒れてしまったり、人に財産を盗まれることもあるでしょう。
本当に自分のものであるのならば、自分の思うようにできるはずです。
ところがよく考えてみると、子どもや財産のように自分自身にしても、自分の思うようにはなりません。自分に好ましい事は、いつまでも続くように、と人は願いますが、その願いにはしばしば裏切られます。また、感情に流されて思ってもないことを言ってしまうこともあります。さらには、急に病気にかかったり、怪我をしてしまったりすることもあります。
そうした人生のありようを、仏教では「諸行無常」と受け止めます。ブッダは「何事も自分のものではないと知るのが智慧であり、苦しみから離れる道である」と教えています。
つまり、物も、心も、自分の取り巻く環境も、これが自分のものだと言えるものなど何もないと説いているのです。
時には執着する心を離れて、常に変化し続ける世界に身を任せてみてはいかがでしょうか。
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