LINE法話「無駄なこと」

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おはようございます。
①効率の効率のいい 過ごし方 3つの秘訣】
②生産性を高める 朝の ルーティン】

そういうことを今日は話しません.
なぜならこれ全部インターネットに載っているからです。

忙しい朝,少しでも無駄を省き 効率のいい時間を過ごしたい。気持ちのいい朝の時間を過ごしたい。

誰もが思うことかもしれません。

今回私がご提案したいことはちょっと違います。
「今日1日1回、 無駄なことしてみよう」という ご提案です。

行きたいところがあればその道のルートを検索することができる。最短の道は ?最も安いルートは?

インターネットで検索をすればすぐに出てきます。
便利な世の中になりました。

今では、
コストパフォーマンス 費用対効果
タイム パフォーマンス 時間対効果
という言葉があります。

いわゆるコスパ・タイパ と言われているものです。より効率の良いお金、または時間の使い方は皆さん気にするところですね。

しかし目的地の行き方は無限です。
車で行ってもいい。歩いて行ってもいい。地べたを這って行ってもいい。はたまた インターネットのバーチャル空間で目的地に行ってもいい。

コスパの良い道 、タイパの良い道、それは無限にある選択肢の中の1つにすぎないということです。

ただ 便利であるがゆえに、インターネット検索で得られた情報に自分の行動内容を委ねてる部分が多くなってきてるような気がします。

お釈迦様はスッタニパータというお経典の中で、

「他の人々が安楽である と称するものを諸々の聖者(ひじりのものと書く聖者です)は苦しみであるという他の人々が苦しみである と称するものを諸々の聖者は安楽であると知る解し難き 真理を見よ無知なる人々はここに迷っている」

 

このようにお経の中に説かれています

内容 は解し難き 真理を理解することは難しい。とお釈迦様がおっしゃっているのですから分からなくて当然です。

 

皆さんが良いと思うこと よりも皆さんが苦しいと思うこと、良いと思わないことの方に仏教の真理が隠されてるような感じでしょうか?

 

また日蓮大聖人も残された御文章の中で【煩悩即菩提】という言葉を残されてます。

煩悩とはすなわち"欲望"
菩提とはすなわち"悟り"

欲望=悟りになるという、これまた理解しがたいことをおっしゃっております。

一般的に私達が考える価値のあること、意味のあることよりも もしかしたら私たちが考える価値のないこと、意味のないことの方にこそ真理 悟りが隠されてるのかもしれない。

そこで初めに言った、今回のご提案。

今日1日1回、 無駄なことしてみよう。

インターネットで検索しても 具体的に意味のない無駄なことが何なのかは出てきません。自ら考え 意味のない無駄なこと 行ってみましょう。

私が考える意味のない無駄なこと。例えば通勤通学で真逆の道を1分だけ歩いてみる。ティッシュを投げて落ちるまでに 手を 十回 叩いてみる。

いまやってみます。
パンパンパンパン(手を叩く音)

うまくいきました。
真理は見出せませんでしたが、でもなにか面白いですね。

今の価値観 考え方からは全く受け入れられない、そんな行いかもしれない。

でも自分が考えて、誰かに強制もされず、迷惑もかけずに行ったものであればそれは全く自由な行いとも言えます。

誰かに笑われてもいい。
無駄だと罵られたっていい。

自分で考え行った行為であるならば それはインターネットでも検索できない、あなただけのもの。

1日1つあなただけの、誰のためでもない、何の役にも立たない、そんな行いをしてみてはいかがでしょうか。

私達の考える価値のないこと、意味のないことはお釈迦様から見れば価値のあること、意味のあること、真理、悟りの隠れ家なのかもしれません。

実際に行わずとも何をしようか考えただけでもきっといつもとは違う、そんな1日を過ごせるはずです。

いままで価値がないと思っていたことも自らの行いと考え方一つで価値のあること、意味のあることに変わるきっかけをくれるかもしれない。

それが今日のご提案。
”今日1日1回、 無駄なことしてみよう”でした。

それでは皆さんいってらっしゃい。

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