令和7年(2025年)1月◇行事予定

鬼子母尊神 正月大祭 新春初題目祈祷会     
1月8日   13:00~ 

—家に讃経の勤め有らば 七難必ず退散せしめん—

円眞寺、一年の最初の行事です。
年頭にあたって、集まった皆様と一緒にお経とお題目をお唱えし
仏祖三宝・日蓮聖人、諸天善神に挨拶をする「初題目会」。
そのまま続けて木剣加持祈祷を行う「祈祷会」では皆様がいい一年なるように誓い・祈念します。
僧侶が力強いお経とともに、寒一百日の修行で身を浄めながら書いたお経の巻物を体に当て、
参列した方の気を浄め、英気を養います。
「一年の初めは菩提寺参りから始まる」という言葉があります。
神宮や大師もいいですが、まずは菩提寺と地の神様からお参りしたらよいのではないでしょうか。
どなたでもご参列いただけますので、家族・親戚の皆様等お誘い合わせの上ご参集ください。
(御祈願の申し込みがなくても参列して構いません。)

年越し読経
12月31日 の年越し読経は諸事情により開催できませんでした。(事後報告で申し訳ありません)
1月1日 晨朝勤行。
(※本年度はどちらも本堂は土間よりさきの堂内へおあがりいただけませんのでご了承ください)

法華経一部経読誦会(僧侶対象)
あつまった方と法華経をお唱えします。
一見さん歓迎ですので、詳細はお問い合わせください。

川崎天文同好会主催 市民天体観望会
2月22日 夕方開催(荒天時中止)

おまけ(11・12月ふりかえり~住職動静を添えて~)

11月1日
・遠寿院入行会手伝い
11月2日
・盛円寺 法灯継承披露宴
11月3日
・名瀬妙法寺 御真筆修復奉告式 出仕(対揚)
11月5日
・法華経読誦施餓鬼法要  @ 広島県廿日市市宮島内 千畳閣 出仕(日帰り)
11月9日
・登戸善立寺 庫裡客殿落慶法要 出仕(修法、対揚)
・平間法田寺 御会式法要 出仕(司会)
・川崎天文同好会主催 市民天体観望会 会場
11月11日
・区内他宗寺院 通夜焼香参列
11月25日
・声明勉強会 参加う
11月27日
・読誦会(7)(1)
11月28日
・組寺 研修会
11月30日
・筆頭総代 斎藤文夫 逝去
12月1日
・地域仏教会 (真宗 長弘寺)
12月4・5日
・筆頭総代 斎藤文夫氏通夜・葬儀(宗三寺)
12月8日
・信行会 納のお題目
12月9日
・沖縄慰霊行脚・南部戦跡見学出向(日帰り)
12月15日
・川崎立正会
12月16日
・一部経読誦会(2)(3)
12月22日
・お寺を使用しての法事納め
12月26日
・納めの甲子

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思い返せばあっという間の1年であった。
円眞寺では年間数件のお葬儀があるが、お弔いには波があるようで、まとまって来るときは本当に連続して逝去される方が多い。
かわさきという立地もあり郊外に転居されている方が多く、かわさき南部を使ってのお葬儀を数えたら年間の3割8分ほどに落ち着いているようだ。蒲田の臨海斎場での火葬を入れても、5割にも届かないという事が少し意外であった。今年は児玉・富士・鎌ヶ谷がそれぞれの最遠方でした。
骨葬ではアメリカと九州の方がいらっしゃったようです。

年の瀬or新年からこんな話で申し訳ないが、

「最近葬儀って簡略化されてるんでしょ」

ということはうちのお寺においては無い。
先に火葬炉に収めてお寺にお骨を持ってくる、という方は海外在住であったり親戚の親戚などという止むをえない理由がほとんどで、基本的には火葬前に法要を行っていただいている。
お通夜については、されないかたは代わりに仮通夜として枕経または納棺経という形をとり前日に行う場合もあり、
初七日も、基本的にはお骨になってから、自宅の後飾り段の前やお寺で行っている。
霊園の人や遠方の人、直系の身寄りがない方はともかく、お寺にお墓を持っている方には特にそのようにお願いしている。

儀礼をどこまで簡略化するのか、というのはそれぞれのお寺のセンスである、といったら怒られますが、
センスがない中の人は、なるべくこれ以上簡略化しないで、余計なものを足さずにしいな、と勝手に思っています。
実は結構儀礼が省略されているんですよ、今のお葬儀って。

さて、先ほどそれぞれのお寺のセンス、という言い方をしました。
お寺の動き方ってそれぞれのお寺に即したやりかた、住職の力量や予定にあったやり方というのが出ると思っています。勿論、代が変わったらやり方が大きく変わる場合もあるし、お寺お寺により動き方が変わると、「やれあのお寺はー」という話にもなったり、「あの住職はー」みたいな話になってしまうのですが。
円真寺は別に本山ではありません。街にあるお寺です。
昔はともかく、今はもう人を雇うような規模のお寺ではありません。
中の人の器も足りていません。
その中で円真寺としてはどう動くべきなのか?という事を時々考えます。
まず外向きであるべきか、内向きであるべきか、という点。
よく坊さんの懐事情みたいなことを語り社会との距離感を埋めていくお坊さんがいたり、法話、新規霊園事業や御祈祷でお檀家さん・熱い信者さんを増やすお坊さんもいて、その布教の力にはそれぞれ頭が下がる思いですし、その足を引っ張りたくないといつも思っています。が、たぶん中の人にはまねができません。
円真寺としては、内向きと呼ばれても構わないから、今いるお檀家さんであったり信徒さんであったりに、まずは寄り添い、伴走することを目指したいな、という事を思っています。
(単純に寄り添えばいいものでもないから、ダメなもの、むりなものは無理と言っていますし、そこで喧嘩も起きることがあります)
一緒に走っていくなかで一緒にあったまっていく様なイメージです。

そのうえで、お坊さんとして、お寺として「寄り添う」というのはどういう事なんだろう?という事を考えると
「寄り添う」というより、「より奏」「より、僧。」であることが根本になきゃいけないのかな、と思っています。
掃除と読経と言説でしょうか。その前の人格と愚直さかもしれません。
そこに本化別頭の精神が……となると教学も必要でしょう。
どれも苦手ですね、来年精進したいと思います。

そして、来年は終戦80周年の節目だそうです。
慰霊の年になるのかもしれません。

さて、余計なことを書きすぎました。
本年度は大変お世話になりました。
来年もどうかよろしくお願いします。

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