令和5年9月◇行事予定とふり返り

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秋のお彼岸

20日 彼岸入り → 23日(中日)  → 26日彼岸明けの日

信行会

毎月8日 13時~
 
例月はあつまったかたと本堂でお経をお唱えし、法楽加持(御祈祷)をまったりとした雰囲気の中でさせて頂いてます。
なお10月は例年お会式お花づくりの日ですが、本年は月例信行会として行います。

9月3日 甲子大祭(大黒様御縁日) 
9月12日 龍口法難の聖日 
月例霊跡参拝 (今月は中止する予定です)
法華経一部経読誦会(2)(3)(総)

山門掲示(令和5年9月)

門前の掲示板で毎月貼っているものについて、試験的にこの場所をもって紹介させていただきます。
具体的な内容はそれぞれのリンクをクリックしていただければご覧いただけるようにしております。

・日蓮宗新聞社・今月の聖語
https://www.nichiren.or.jp/words/

・池上抄
池上本門寺菅野貫首様のお言葉、月刊池上誌ならびにHPより
https://honmonji.jp/read/kanju202309.html

・身延山久遠寺教宣
身延山久遠寺歴代岩間日湧法主猊下(故人)のお言葉、月刊身延教報誌ならびにHPより
https://www.kuonji.jp/kyosen/kyosen2309.pdf

8月のふりかえり(自己点検)

3日 川崎市匡眞寺 盂蘭盆施餓鬼会大法要 出仕
6日 幸町三丁目町内会 祭礼準備・神輿練習(駐車場にて場所貸)
7日 江戸川区妙光寺 盂蘭盆施餓鬼会大法要 出仕
8日 信行会はおやすみでしたが、一人でお経と唱題行を行いました
12日~16日 8月(月遅れ)お盆
15日・16日 円真寺世話人Y氏通夜・葬儀(円真寺を会場に行われました)
17-21日 女体神社例大祭(18・19日) 幸町三丁目町内会神酒所場所貸し(駐車場)
21日 川崎市法田寺 子供寺子屋 助成(読経練習・仏事体験講師)
22日 組寺研修会
住職、研修会往路の時点で異常発汗、復路において頭痛と異常発汗
23日 住職発熱確認、熱中症と見なし隔離等せず。体を冷やし水分を取り就寝。38度台。
24日 住職9時発ようやく取れた熱外来受診、新型Cov陽性反応。熱39度台、寺院内で隔離。
25日 残る寺族発症。来客対応を基本的に非接触体制に移行、法事・葬儀日程調整。
26日 喉・呼吸器の違和感を除き住職の体調戻る、当分引き続き接触は可能な限り抑える。
28日 他の寺族も無事喉の違和感を除き体調戻る。当分引き続き接触は可能な限り抑える。
9月2日 正常運用に戻る。
::::::
「実は体が弱くてすぐ病気になるんです」と、ヘラヘラ笑いながら答える。
え!?また病気なったの!?と声をかけられた住職(筆者)は苦笑いしながら、確かにしょっちゅう体に不審が起きているなぁ、と思う。よく、病は気から……という言い方がなされるけれど、我ながら気がかなり弱く、少しのことで思い悩みあたまを抱えてしまうのが悪い癖だ。大学時代に痛めてしまった胃は最近落ち着いてきていたのだけども、昨年から夏場は熱中症に怯えて生活をしている。今回の発熱も2年連続の熱中症かと思っていたらまさかのコロナでびっくりしてしまった。喉の痛みが6月にかかった風邪とは全然比べ物にはならなかったので、熱中症だとばかり思っていた。病院に着いたときの咳が痰が絡む深いものだったのでもしや……とは思っていたけれど。
発熱外来から帰ってきたあと陽性だったことを知った母は「かかりつけ医に怒られる」という言葉を吐いていた。その場合の戦犯として一番怒られるのは当然立場が弱い住職になるのだが……と思うとなかなかどうしたものか……という陰鬱な気分で布団に潜った。
病院ではロキソプロフェンと葛根湯、そしてロキソニンが胃を痛める恐れがあるので胃薬、その3点を処方してもらい、毎食葛根湯とロキソニンをいただく。
人によっては発熱を促す葛根湯と熱を冷ますロキソニンを飲むなんて!!!みたいな意見もあるようだけど、効果はてきめんで、翌日は37度代後半で推移した体温は2日後には無事36度5分まで落ち着き安定をはじめた。
熱を口実に気持ち悪いほどゆっくり寝かせて貰っていたが、熱が下がった日の朝、部屋の扉の向こうから母に声をかけられた。
「かかっちゃったみたいで喉が痛いし声が出ない」
隔離期間であってもいつまでも休んでいられないとして、私もお勝手の仕事に復帰しつつ、母を寝かせる。
来客については接触をなるべく減らす対応を取りながらも、徐々に出来る事と、床に転がり休み休み好き勝手なことををはじめていった。

上記が、23日以降のコロナ感染の語りうる記録である。
どちらかというとつらかったというよりは、思いっきり休ませていただいた、という言葉が正しいのかもしれない。

実はこの罹患の中でやっていたことがあった。
twitterとFacebookのアプリをスマートフォンから消去することである。
病は気からである。そして気は病からである。
調子が悪いと横になっている間、私宛で無くてもSNSで色々な言動をみていてすごく気持ちがマイナスの方に持って行かた。
めぐりめぐって最終的に自分への嫌悪感でみたされてしまった。
布団の中でネットを見ながら、自分の人間としてのクソさ、お坊さんの格好をしている偽物具合に虫唾が走っていた。
思い悩みすぎて起きるのもつらくなってしまったので、その原因を考えつつ一旦TwitterとFacebookをスマートフォンから消してみた。
インターネット……いや、人間関係に不向きなんだろうな自分……と言うことはよく思う。
「向き不向き」は努力である程度までは克服できる派の自分であるし、
特定の立場に立っている人は向き不向きとか関係なく、
不向きであっても出来なければいけないことって多くある。
だからこそがんばんなきゃいけない……と思う真面目系クズな自分ではあるけれど、
せめて何かを発するときは、僕は優しい言葉をなるべくかけていきたいと思う。
ネタであっても余り人の悪いところをあげつらう癖は今後なおしていこうと思っている。
誰かの心にわずかでも灯りをともす。薪をひにくべてあげる。
別に大勢の人相手で無くていい、少しの人相手でいい。
ただ、忘れてはいけないことは、我々はお釈迦様・日蓮聖人ならどう考えるか?を
勉強をして、そして時には語り、時には示し、伝え生きていくのが本当であるということ。
だから「語れ」なきゃいけないし、「示せ」なきゃいけないし、法を修せなければいけない。
語るなら教学と言説。示すなら法式であり修法であり社会教導であり。
それを伝えていくこと。
それはどれも基本的なものであるべきなんです。
それがすぐには全てできないから、日々修行をして、一生懸命がんばることなんです。
もちろんその身の振り方によって伝えることが出来ないことも出来なくなってしまうことは沢山あるけれど。

今月は目の前のことを一生懸命、一緒にがんばりましょう(眞)

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