立正安国・お題目結縁運動 いのちに合掌

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宗祖日蓮大聖人真筆大曼荼羅御本尊格護

仙道山 勝嚴寺

【Sendousan Shougonji】

845-0033 佐賀県小城市三日月町樋口637 

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ごあいさつ

ほどほどに幸せな生活を送っていると、宗教というものに日常それほどの必要性を感じません。
なかには無宗教を自分の信条とし、宗教に頼って生きている人を弱い人だという人もいます。

しかし、今回の東北の大震災を受けて、被災していない人ですら、さすがにあれだけたくさんのどん底に突き落とされた人々の姿を目の当たりにすると、自分が生きてきたこの世の中がいかに不合理なものかを痛感し、さまざまな疑問が湧いてきます。

今回の災害を宗教的にどう説明するのか、実にたくさんの人から尋ねられました。
『もし、全能の神がいるなら、なぜ人はここまで苦しまなきゃいけないのか。神も仏もあったもんじゃない』。
『もし、今回の災害を人類の罪とするなら、なぜ、助かった人と、助からなかった人がいるのか。そして、両者の間にはいったいどんな差があったというのか』。

苦難は誰にでも訪れるものです。

信仰をすれば苦難から逃れられるわけではなく、おそらくは、その苦難を経験したのちに、その苦難をどう乗り越えるかを教えるのが宗教の本質だと思います。

最初に釋尊は『この世は苦であるということを知りなさい』と説きました。
ということは、ほんとうの佛の教えは、苦難を経験した後から始まるのです。

だとすると、宗教をやってる人は弱い人でしょうか?
耐え難き苦難を乗り越えようと、自力の第一歩を踏み出す人を、真の宗教者と呼ぶべきではないでしょうか。

真の宗教心とは、依存心ではない。

特定の個人に利益を供与するといわれる神様の人形を作って、それにお願いごとをするだけの信仰なら、客観的に弱い人に見えます。

人形を拝んでも、何も変わりません。

燃えている家の中で遊んでいる子供を、釋尊は助けに来なかった。
しかし、釈尊は一生懸命、外から呼びかけました。
ありとあらゆるおもちゃ(方便)を用意して呼びかけたんです。

『こっちへ来い』と。

子供たちは自分の足で歩いて屋敷から出るしかない。
釋尊は、毒薬を飲んだ子供のために解毒剤を作ってくれますが、飲むのはやはり自分。

自分しかないんです。

信仰とは、人形を拝んだりお守りをたくさん身に付けたりするような外部依存ではなく、自己の奥深くに眠っている、神とのあくなき対話なのではないかと思います。
 
 

日蓮宗仙道山勝嚴寺
副住職 大野英章拝

基本情報

寺院名称 仙道山 勝嚴寺(しょうごんじ)
住所 845-0033 佐賀県小城市三日月町樋口637
電話番号 0952−72−2788
公式サイト http://www.shougonji.org/
お問い合わせ先 sendousan@gmail.com

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