食べていいもの、わるいもの

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

前回のブログ「いただきますのススメ」では、大切な命をいただいて生きているのだから「いただきます」で毎日の食事に感謝しましょう、というお話をしました。
さて、みなさんはどんな食事が好きですか?
寒い冬には、暖かいお鍋が美味しいですよね。
冬に美味しい牡蠣やカニ料理もいいですね。
みなさん好きな食べ物もあれば、嫌いな食べ物もあることでしょう。
ご飯、お肉、お魚、野菜…
私たちは毎日いろいろな食べ物を食べていますが、実は私たちが食べているのは、それだけではありません。
 
仏教では、私たち人間は、次の4つのものを食べて生きているといいます。
 
1つ目は、「段食」(だんじき)
私たちが身体を養うために食べている野菜や肉、お米などの食べ物のことです。
命を少しずつのかたまり(分々段々)で食べるので、段食と言います。
これは4つの中で唯一目に見える食べ物ですが、人間はこれだけでは生きてはいけません。
 
2つ目は、「触食」(そくじき)
笑い、喜び、楽しさ、などをつくり出す感情です。
これは食べ物と同じように身体を元気にし、心の栄養になるものです。
さまざまな物事に触れて生じる喜びや心地よさによって、生きるエネルギーを得ることができます。
たとえば、食卓を囲んで笑顔で楽しい会話を行うことも触食の一つでしょう。
 
3つ目は、「思食」(しじき)
夢や希望です。
希望があれば人はイキイキと生きることができます。
希望があるから困難な状況でも耐えることができます。
夢や希望を持ち、何かを思うこと自体が、生きる意欲を生み出し、人間を生かす食べ物になっているというわけです。
 
4つ目は、「識食」(しきじき)
私たちの「心」そのもののことです。
自分自身の心で「生きている」ということを自覚することはとても大切なことです。
心の動き一つで身体は元気にも病気にもなります。
心そのものが身体に関わる大切な食べ物だというわけです。
 
これらが、「目に見えないもの」を食べて心を養っているという『四食(しじき)』という仏教の考え方です。
目に見えるものだけでなく、生きるために必要なエネルギーを与えてくれるものすべてを「食」としているのです。
これらの見えない食べ物によって心と身体が養われ、私たちは生かされているのです。
 
一方で、目には見えないけれど、食べてはいけない、悪い食べ物もあります。
それは、『煩悩(ぼんのう)』です。
「貪(むさぼり)・瞋(いかり)・痴(おろかさ)」の心で、これらを仏教では人間の心をいちばん苦しめる毒薬という意味で「三毒」とも呼びます。
1つ目は、「貪」(むさぼり)
あれがほしい、これがほしいという妬みの心、物事に執着する心です。
地位や名誉、富、性愛、すべてに貪欲になっていませんか?
何ごとも、欲を少なく足ることを知る、という心がけが大切です。
 
2つ目は、「瞋」(いかり)
自分の心に逆らうものを怒り恨むことです。
これを食べてしまうと、相手に敵意を抱いてしまうだけでなく、自分の心も醜くなってしまいます。
 
3つ目は、「痴」(おろかさ)
単に教養がないということではなく、ものごとを正しく理解できないこと、自己中心的な身勝手な心です。
 
みなさんは大丈夫ですか?
知らず知らずのうちに、不平不満を食べてしまってはいませんか?
確かに生きている以上、ねたんだり、怒ったり、愚痴りたくなるようなこともあるでしょう。
しかし、そんなことをしていても何の得にもならないし、相手だけでなく、自分にも損なことばかりが起きてしまいます。
悪い食べ物は、悪い心を生み出します。
私たちは自分の心に抱く煩悩(欲望)によって苦しんでいるのですから、心安らかに暮らすためには、それを少しでも少なくする心がけが大切です。
 

目に見えるもの、見えないもの、いろいろな“もの”を食べて私たちは生きています。
せっかくなら、心に良いものを食べましょう。
「ねたみ、恨み、愚痴」を食べずに、「笑い、喜び、希望」を食べて、笑顔で毎日を暮らしましょう。
 
良い食べものが、善い心を育てます。

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

一覧へ