いただきますのススメ

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みなさんは、「いただきますの日」があるのを知っていますか?
ヒントは食事に欠かせない「お箸」が並ぶ日。
 
 
答えは「11月11日」です。
日々の食卓に関係するさまざまなつながりに感謝し、「いただきます」という言葉にこめられた大切な気持ちを通じて、心豊かな食卓、幸せな暮らしの時間を社会に広げていく、それが「いただきますの日」だそうです。
 
私たちは生きていくために、毎日食事をします。
1日3回。
1年で1095回。
人生80年で87600回。
意識しない間に、私たちはたくさんの食事をして生きています。
そして、その食卓に出てくるお米やお肉、お魚、お野菜、それら一つひとつにはすべて命が宿っています。
私たちは、たくさんの命をいただきながら生きています。
 
しかしここで一つ問題があります。
仏教には、「不殺生」という「生き物を殺しません」という大切な戒めがあるのです。
でも、私たちは食べないと生きていけません。
命が宿ったものを食べていかなければいけません。
私たちは毎日、殺生をしながら生きています。
だからこそ、そのことにきちんと気づき、感謝するために「いただきます」があるのです。
食事の前に「いただきます」と手を合わせる行為には、『尊いあなたの命をいただいて、私の命にさせていただきます。その命の分、今日も精一杯生きます!』という大切な意味がこめられています。
 
数年前に、給食費を払っているのだから「いただきます」を言う必要はないと学校に申し入れた親がいる、という話が話題になりました。
お金さえ払えば、食事は「自分のもの」になると考えたのでしょう。
でも果たしてそうでしょうか?
それって、とても寂しい食事だと思いませんか?
 
食事はもっと、温かいものです。
食べ物一つひとつには、たくさんの命が関わっています。
一粒の米、一滴の水、一本の野菜、その食材を作ってくれた人、それを料理してくれた人…
様々な縁がつながって、「食」は生まれます。
豚さんもマグロさんも食堂のおばさんも、みんなの温かい命が、「食」を通して私の口のなかに入っていきます。
そんな温かいつながり(縁)で、私たちは生かされている。
そのことに感謝するのが、「いただきます」なのです。
 
日蓮聖人は身延でお書きになられたお手紙の中で、
『水中で生きている魚にとって、水は宝です。大地の上で成長する木にとって、大地は財(たから)です。人は食べ物によって生きることができているのであって、食べ物こそ財(たから)です。そして、命というものは、あらゆる財(たから)の中でも一番の財(たから)なのです。』
(「魚は水にすむ、水を宝とす。木は地の上に生て候、地を財とす。人は食によって生あり、食を財とす。いのちと申す物は、一切の財の中に第一の財なり。」『事理供養御書』)
とおっしゃっています。身延という人里離れた地で、食のありがたみを感じて、自分の「いのち」はたくさんの命をいただいて生かされているのだ、ということを身にしみて感じられたのでしょう。
 
「人を良くする」と書いて、「食」という字はできています。
食べることは生きること。
生きることは食べること。
口は「いのち」の入り口です。
 
ぜひ食事の前には、ご家族で一緒に、大切な人と一緒に手を合わせて、食卓にひろがるたくさんの「いのち」に合掌してください。
毎日を豊かに、幸せに暮らすために。
「いただきます」をオススメします。

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