供養ってうれしいもんですね

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

6月10日高松市の泉立寺様に宝塔施餓鬼供養のご法要に先立っての高座説教に伺いました。
 
2年ぶり4回目ということで、顔なじみのお檀家様もいらっしゃり、とても暖かく迎えていただきます。
 

毎度のことですが、13時からのお説教ですので、少し早めにお寺に伺いお食事を頂きます。
 
写真のように、昼食とは思えない豪華な内容!
 
別室ではお檀家様もお食事をとっているようです。
 
失礼ながら、、
「お檀家様も々メニューでお食事なさっているんですか?」
と伺うと
 
「同じメニューですよ」
とのこと。
 
お寺の行事でこれだけのお食事を頂けるのは本当にありがたいし、美味しいし、何より楽しいだろうなと思いました。
 
たくさんの下ごしらえ、食器の保管・準備、そして当然お片付けと・・・
 
 
お施餓鬼の法要で「供養って大事ですよ」
 
とお話しすることはよくあります。
 
お施餓鬼法要での供養などは目に見えないので、なかなか達成感といいましょうか実感がわきにくいのも事実です。
 
しかし、自分が供養をされると本当にうれしいし、ありがたい!
 
その供養はお食事であり、お掃除であったり、笑顔であったり、温かいお言葉であったり・・・
 
「満足してもらおう、快適に過ごしてもらおう」という思いが、お寺の佇まいや、お食事という形になって示してくれていることを教えていただきました。

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

一覧へ