稽古とは一より習い十を知り 十よりかえるもとのその一

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

少し前になりますが、先日、京都山科護国寺様に、声明のお稽古に行ってまいりました。

日蓮宗では声明師というお役目があります。

法要に関わることに、十分習熟した方ですが、声明師拝命には厳しい審査が2度あります。

その声明師を目指す方のお稽古なのですが、声明師を拝命してからは指導をする側に回ることもございます。

指導をするときになって思うのが「自分が普段できていないことは、指導はできない」ということです。

平素から、声明や法式のあらゆることにアンテナを張っていないと、いざという時、指導はできません。

これは何も声明師に限ったことではなく、ご法話や、いのり、法華経のこと、お題目の事、すべてに言えることだと思います。

指導する側でありながら、あらためて、多くのことを教えていただいた良いお稽古となりました。

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

一覧へ