少し前になりますが、先日、京都山科護国寺様に、声明のお稽古に行ってまいりました。
日蓮宗では声明師というお役目があります。
法要に関わることに、十分習熟した方ですが、声明師拝命には厳しい審査が2度あります。
その声明師を目指す方のお稽古なのですが、声明師を拝命してからは指導をする側に回ることもございます。
指導をするときになって思うのが「自分が普段できていないことは、指導はできない」ということです。
平素から、声明や法式のあらゆることにアンテナを張っていないと、いざという時、指導はできません。
これは何も声明師に限ったことではなく、ご法話や、いのり、法華経のこと、お題目の事、すべてに言えることだと思います。
指導する側でありながら、あらためて、多くのことを教えていただいた良いお稽古となりました。