「伝わる」から「伝える」へ

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

4月2日、香川県宗務所主催の女木島(めぎじま)団参にご一緒させていただきました。
女木島は高松港からフェリーで20分ほどの離島で、残念ながらの小雨でしたがちょうど桜は満開でした。
この女木島には日蓮大聖人の銅像があります。
九州に日蓮大聖人の大きな銅像がありますが、その兄弟分とのこと。
九州の銅像が立像なのに対し、女木島の銅像は座像です。
実に珍奇な運命をたどってこの女木島に安置されています。
この女木島の銅像、元々は大阪にあったそうです。
太平洋戦争の時の金属供出の号令の元、この銅像も1度は供出に出されたとのこと。
しかし、大阪の担当の金属業者が
「大聖人の銅像を溶かすのはやはり畏れ多い」
ということで、戦争終了まで隠し持っていたそうです。
戦争が終了しましたが、大きな銅像です。
安置する場所が見つからず困っていた時に、どういったご縁か、まずは高松に運ばれたそうです。
しかし、高松でも引き取り手がなく、女木島にやってきたそうです。
最初は女木島の海沿いにあったそうですが、その場所に港を建設するということで、またしても安置する場所に困りました。
しかし、時の島民の方々が
「良し!!山の頂上に安置しよう」
ということになり、まだ重機のなかった時代に、人々が助け合って、女木島の山の頂上に運んでくれたそうです。
さらには、この銅像までの参道も、島民の方々が年に1回草刈りをしてくれているとのことです。
しかし、女木島の島民の方々はほとんど浄土真宗だそうです。
供出の時に、銅像をかくまった方も日蓮宗のご信者だったかはわかりません。
「もの言わぬ」銅像に畏敬の念を抱き、時代と共に銅像を守ってくださった方々のご苦労、もちろん、今なおお掃除をしてくださっている島民の皆様のご苦労を思うと、本当に胸が熱くなります。
本にはならないけど、多くの方の思いが形になっていることは沢山あると思います。
そういった思いを時代がどんなに変わっても正しく伝えていかなければならないと、今回の団参にご一緒させていただき強く思いました。

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

一覧へ