令和7年 第59回身延輪番奉仕と東京池上参拝の旅

今年も身延山久遠寺へ、檀信徒の皆さまとお詣りしました。

4月14日(月)、午前7時40分発のひかり500号にて岡山駅を出発。静岡駅で大型観光バスに乗り換え、12時頃に身延山に到着しました。
今回は午後1時30分からの開式でしたので、門前で少しお買い物などをしてから輪番奉仕に臨みました。
輪番委嘱式には持田法主猊下がお出ましになり、直接輪番奉仕の依嘱を受けました。
また、今回は10回表彰の檀徒の方が3名いらっしゃたので、賑やかな感慨深いものとなりました。
お天気にも恵まれ、記念写真は久しぶりに少し残っていた枝垂れ桜のもとで撮影することができて、皆さん笑顔で写真に収まりました。
その後、午後3時からの夕勤に参列し、ご供養と御祈念をしていただきました。
午後4時、身延山を後にして、本日の宿泊場所である甲府市の「城のホテル甲府」へ出発です。
夕食会は地元の料理屋さんにて、和気あいあいとした雰囲気の中、皆さん楽しく過ごされたようでした。

翌4月15日は、午前8時前にホテルを出発し、一路東京・池上を目指しました。
道路の渋滞もあり、本山大坊本行寺への到着は予定より少し遅れ、11時前となりました。
ここで東京在住の檀家の方1名も合流し、貫首猊下によるご開帳法要を受けました。
日蓮聖人がご入滅になられたお部屋の跡に建てられた「ご臨終の間」と呼ばれるお堂での法要です。日蓮大聖人が滞在中に寄りかかって『立正安国論』を講義された「お寄り掛りの柱」が遺されており、法要中にその柱の一部に触れることができました。また、事前にお送りした名簿をもとに、参加者全員の名前を読み上げ、丁寧な御祈念をしていただきました。

続いて、大本山池上本門寺に徒歩で移動し、大堂にてご開帳法要を行っていただきました。
大堂は、慶長11年(1606年)、熱心な法華信者として有名な加藤清正公が、慈母の七回忌追善供養のために建立したものです。間口25間の堂々たる大建築で、清正公が兜をかぶったまま縁の下を通ることができたと伝えられています。
その壮観さから、江戸の人々はこれを「池上の大堂」と称し、上野(寛永寺)を「中堂」、芝(増上寺)を「小堂」と呼んだと伝えられます。現在の大堂は、戦火により焼失したため、戦後に再建されたものです。
大堂の内陣に席を設けていただき、荘厳なお厨子に格護されている日蓮聖人の御尊像のご開帳を拝しました。

この御祖師様は、日蓮聖人の七回忌にあたる正応元年(1288年)に、日持上人と日浄上人が大願主となって造立されたものです。生前の日蓮聖人をよくご存知だった方々が丹精を込めて作られたことから、ありし日のお姿を映した「生身の御尊像」と呼ばれています。また、日蓮聖人は孝養を大変重んじられた方であり、その一端を示すように、御生母の髪の毛を御入滅の時まで肌身離さず持たれていました。
池上本門寺の御尊像は、左手に御入滅の時までお読みになっていた「内典の孝経」および法華経第六巻を、右手には御生母の髪の毛を差し入れた払子(ほっす)をお持ちになり、日蓮聖人が体現された孝養の道を今に伝える「孝道示現の御尊像」として、静かに私たちを見守っておられます。〔池上本門寺ホームページ参照〕

午後1時にはお詣りをすべて終了し、池上本門寺朗峰会館1階の「ガーデンレストラン人形町今半 池上本門寺店」にて、小堀遠州作の庭園「松濤園」を眺めながら、美味しい昼食をいただきました。

この後、バスにて横浜へ移動。
横浜駅東口から山下公園までシーバスに乗り、短い時間ではありましたが、ミニクルーズを楽しみました。
その後、横浜赤レンガ倉庫でのショッピングや散策を終え、新横浜駅へ向かいます。
いよいよ旅も終わりです。

午後5時31分発のぞみ53号にて、午後8時25分に岡山駅へ無事到着。
一泊二日ではありましたが、内容の濃い充実した団参となったように思います。
また来年も、どうぞよろしくお願いいたします。

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