令和二年庚子歳 初詣

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明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

今年の初詣祝祷会も元旦午前8時より、大勢のお参りをいただきました。
気温は低かったもののおだやかな好天に恵まれました。

本年が穏やかな良い年となりますようお祈り申し上げます。

新春法話は以下のお話しをさせていただきました。
少し早口で話してしまったようですので、概略を記しておきます。

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
今年は庚子(かのえね)歳。干支の最初、ねずみの年ですね。御宝前にもねずみの形をしたウイスキーボトルがお供えしてあります。これは例年通り、たっぷりお経をあげて節分の景品になる予定です。その隣には小さな菰樽。これでも日本酒が一升入っています。こちらも節分の景品にする予定ですが、静岡の土井酒造の「開運」。大変おめでたい絵柄に「縁起清酒」の文字。節分星祭りでこのお酒が当たれば、まさに「こいつは春から縁起がいいわぇ」と洒落込むことができますね。

「縁起がいい」は、よい結果の起こる予兆を指していますが、この「縁起がいい」の「縁起」は仏教から出た言葉です。もとの言葉「因縁生起」を略して「縁起」と言います。「因」は直接的な原因、「縁」は間接的な原因を言い、それから生じたことや起こったことが、「因縁生起」です。「善因善果」は、よい原因からよい結果が起こること、「悪因悪果」は、悪い原因から悪い結果が生じることです。
但し、原因には、直接的な「因」とともに間接的な「縁」もあります。例えば、桜の花は桜の木という「因」がなければ咲きませんが、冬には咲きません。寒いからですね。春になって気温が上昇する、暖かい日が続くという間接的な原因「縁」に触れて初めて桜の花は開きます。
「善因善果」、よい原因からよい結果が起こることは分かりやすいのですが、そこに間接的な「縁」が関わることにより、初めてよい結果へと導かれているのですが、それは見えにくいことがあります。

私が日々努力を怠らず勉強したから、志望大学に入ることができた。俺が毎日一生懸命仕事をしたから、たくさん給料をもらった、出世をした、儲かった。それは本当でしょうが、それを助けた周りの力、環境を整えてくれた両親や安心して仕事ができるように努めてくれた家族、周りの人々の力、そういう間接的な原因「縁」によってよい結果がもたらされたことは気づきにくいものです。

昔から、「おかげさまで、上手くいきました」という言い回しがありますが、そこには、但へりくだっただけではなく、いろいろな「縁」によって、また目に見えないさまざまな関係性を含めて(神仏のご加護によって)、よい結果を得ることができましたという意味があるのだと思います。
私たちはさまざまな関係性の中で存在しています。それを仏教では「空」と言ったりしますが、難しいことはさておき、周りとの関係を今一度見直し、人と人との関係、「縁」を大切にしましょう。
人との関係を大切にして、自分にできることをしっかりと為し、世のため人のためになることが少しでもできたならば、今年もよい年となるのではないでしょうか。

「果報は寝て待て」と言います。これを「何もしないで寝ていれば良いことがやってくる」と都合よく解釈している人もあるようですが、本来は「人事を尽くした後は、焦らず気長に良い知らせを待つしかない」ということです。ねずみ年とは言いながら、ねずみのようにちょろちょろとではなく、コツコツとどっしりと歩みを進めたいものです。もちろん日々のお題目はお忘れなく。

本年も皆さまにとりまして、穏やかな幸多い年となりますことをお祈り申し上げ、元朝のご挨拶といたします。

 

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