日蓮聖人は、晩年の九か年を山梨県の身延山でお過ごしになりました。
身延山は今でこそ日蓮宗総本山として久遠寺の七堂伽藍が整い、多くの参詣者を迎える霊山ですが、聖人が入山された当初は、山深い静かな地でありました。
文永十一年(1274)、聖人が身延山に入られたとき、最初に結ばれたご草庵はごく小規模なものであったと伝えられます。
その後、弘安四年(1281)には、新たに「十間四面」のお堂が建立されました。その跡地は現在も身延西谷に「御草庵跡」として伝えられています。
(写真は、妙勝寺本堂に飾られている宗祖一代記の絵の一つ、「ご草庵の改築」です)
新たなお堂の建立の様子を伝えるのが『地引御書』と呼ばれるお手紙です。
それによれば、
十月に地引き(土地を整え)、
十一月八日に柱を立て、九日・十日で屋根を葺き、
二十四日には堂が完成し、落慶供養を営んだ
と記されています。
十間四面という堂宇が、棟上げからわずか三週間足らずで完成したというのは、実に驚くべきことです。当時の身延山に多くの大工がいたとは考えにくく、弟子や檀信徒が力を合わせて作業にあたったのでしょう。
このお堂は、日蓮聖人お一人の力で建てられたものではありません。
檀越の真心、門下の労力、それぞれが自らの出来る限りを尽くし、志を一つにしたからこそ、短期間で成就したのです。
それは奇跡ではなく、「一味同心」の信仰のあらわれでありました。
『異体同心事』には、
「日蓮が一類は異体同心なれば、人人すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚へ候」
とあります。
姿かたちは異なっても、心を一つにすれば、大きなことも成し遂げることができる。
身延山の堂宇建立は、そのお言葉を実際に示された出来事であったと言えるでしょう。
私たちの信仰生活も同じです。
一人の力は小さくとも、心を合わせれば、大きな実りが生まれます。
聖人の御事蹟を偲びつつ、私たちもまた、それぞれの立場で出来る精進を重ねてまいりたいものです。

