欲を出さなければならぬもの

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 世の人々は、物品と言えば安価な値段で良いものを好んで欲しがります。例えば、食料品売り場でも同じ値段が付いている食品、さほど違いもないのにより多く入っているように見えるものを選んだり、より新鮮に見えるものを選んだり。
 また、少しでもブランド志向の高い物を好んだりもします。高いだけで機能性に優れない物だって沢山あります。
 他人が一応に手に入れられない者を願って欲しがったりもします。そして、それを持つことが出来たなら自慢したくなったりもするでしょう。そしてこれらは、おおよそブランド名が先行して人々の興味を引きつけている物と言っても言い過ぎではない。というのは、これらの名前しか知らないで本当にこれらの良さを知って求める人も、もちろんいるのだけれどもその名前だけでこれは良い物だ、と決めつけている人も多くいるのです。
 しかし此処にこれとは全く正反対の事象がある事を皆さんは知っているでしょうか。それは心の持ち方という、人の最も大事な部分を教育する宗教。こんな大事な物を人々は先ほどと同じ価値観という物指しで測ろうとはしないのです。おかしいですよね。それに勿体ないです。
 お釈迦様がお説きになった8万4千巻という膨大な数の教え一つ一つは一人一人の悩みに応じてその悩みを取り去ってやろうと説かれた教えや人類や生きとし生けるもの全てを対象に等しく説かれた教えと、それら全ての教えという物は、実は皆只なんですよ。つまり与えられっぱなし。お釈迦様が私たちが幸せな心持ちになれるように報酬と交換に売ってくださる物ではなく、向こうからこっちへ与えられっぱなしの物です。先ほども言ったように人として生きていくために最も大事な心という物を養生する事です。
 こんな大事な価値のある物を只で与えてやろうというのに逆に頂こうとはしません。本性では良い物が欲しいのに。                                                        
 ここに仏教の中で最高の物があります。言わずと知れた『妙法蓮華経』です。最高級の中の最高級であるこの教えは今日本国内の仏教徒のほんの一部分にしか受け入れられていないのです。日本中の僧侶を含めて大部分の仏教徒は『妙法蓮華経』以外の教えに踏みとどまって満足しているのです。そしてそれらは。同じ値段で買える高級品が有るのに買おうとしないのはもったいなさ過ぎます。
 同じお釈迦様から説かれたこれらの『経』と言うたくさんの教えは、お釈迦様ご自身が『妙法蓮華経』という最高最上の教えをよりよく使えるように解るようにするための前書きのような物で本編は此処にはないのだといっているにも関わらず、それを求めようとしない変な日本人が此処にいるのです。
 全ての仏教徒がこの価値を知っているのにこれだけは欲しがらない。おかしいとは思いませんか?

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