頂妙寺の開山は妙國院日祝聖人であり、下総国千葉郡で産まれ、豪族の千葉氏の出身です。正中山法華経寺の第六世日薩聖人を師匠として、行学に励み、京都布教を志されました。
文明五年(一四七三)。四十七歳にして京都にいたり、一草庵を結び、日夜説法をなされました。
明応四年(一四九五)。土佐国守護細川勝益公の外護を得て、頂妙寺を四条富小路に建立。勝益公が足利十一代将軍義高公に仕えられていた縁から、幕府の祈願所となり、大いに賑わいました。
永正六年(一五〇九)。将軍義稙公の教命により、新町通上長者町(現在の御所の西)に移転を開始。永正十年(一五一三)。堂宇が旧に復するのを見届け、弟子日言聖人に法脈を託し、四月十二日、八十六歳にして遷化されます。
写真の日祝聖人尊像は、祖師堂に安置されています。平成二十四年、御開山五百遠忌に際し修復されました。