盂蘭盆施餓鬼法要

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令和3年8月17日13時より、近隣のご寺院にご出仕を頂き、本堂におきまして盂蘭盆施餓鬼法要を執り行いました。
今年も昨年に引き続き、感染症対策として新盆会にあたるお檀家さんと、当山総代世話人の方のみのご参列とさせて頂きました。

お盆のお話
私達が普段使う「お盆」という言葉は、正式には「盂蘭盆」といい、それはお釈迦様がいらっしゃった時代まで遡ります。
お釈迦様の十大弟子の一人に、神通力第一といわれる目連尊者という弟子がいました。ある日、目連が自分の神通力で亡くなった母親の姿を見たところ、母親は餓鬼の世界(餓鬼道)に堕ちており、飢えと渇きに苦しんでいたそうです。母親を救おうと、神通力で食事や飲み物を送っても、それを口に運ぼうとした瞬間に青白い炎となり、そして何も食べられず、最終的には、骨と皮だけになってしまいまいました。

嘆き悲しんだ目連尊者がお釈迦様に、何とか母親を救いたい、と相談したところ、生前母親ができなかった別け隔てない気持ちを持ち、人々に施すように、と諭されたそうです。そこで、目連尊者は安居(雨期に行われる僧の修行)を終えた修行僧たちに、食べ物や飲み物、寝床などを捧げたところ、修行僧たちは大変喜び、その喜びが餓鬼の世界まで伝わり、母親が救われたということです。
この故事より古くから日本では盂蘭盆の時期に帰省して家族で先祖を偲び、迎え火や送り火、お供え、精霊馬など、様々な形でおもてなし、各お寺でも施餓鬼法要が営まれるようになりました。
お盆になりますと、目に見えるもの(私たち)と目に見えないもの(ご先祖様)をより身近に感じます。また、私達は日常生活を送っていると、当然好きな人もいれば嫌いな人も現れます。しかし、お釈迦様がお諭しになられたように、私たちはその全てに別け隔てのなく平等に振る舞う心を持つよう心がけねばなりません。施餓鬼法要は私達がその心を養うための言わば練習ということができるのかもしれません。

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