皆さまこんにちは!研修員の下土井龍慧です。
寒さが一段と増してきましたが皆さまどの様にお過ごしでしょうか。
10月29日、本山本土寺様に於きまして研修員の松下上人がお会式の法話をさせて頂きました。「親の有り難さ」と題し、自分自身の体験談を混じえながらお話をさせて頂きました。
『「心」は誰にも見ることはできませんが、「心遣い」は見えます。同じように、「思い」はその人にしか分かりませんが、「思いやり」は誰にでも見ることができる。』という言葉が印象に残り、行動に移すことの大切さを学びました。
11月2日には、田中副所長先生の御自坊の正福寺様にて信行会に参列、研修員2名が法話をさせて頂きました。
鴻巣研修員「蓮華の様に生きる」
仏教では「修羅の心」の他にも、マイナスの心として、獣の心である「畜生の心」、貪りの「餓鬼の心」、そして「地獄」の心があります。それらの心を完全になくすことは出来ません。しかし、それらの心を抱えながらも素晴らしい人生を送ることは出来ると思います。
彼岸花は法華経では「曼殊沙華」という名で頻繁に出てきます。曼殊沙華は法華経が説かれるときに天から降って来て見る者の固い心を柔らかくする、と言われています。
そんな曼殊沙華ですが、実は根には猛毒があります。でもとても美しい花を咲かせるのですね。同じように私たちもまた、心に毒を持ちながらも、そういった心を抱えながらも美しく咲くことができるのではないかと思います。
下土井研修員「本質を見る」
自分自身がイライラしたりネガティブになっていると、物事を偏った見方をして本質が見えてこないことが多くあります。
では、本質を見るためにはどうすれば良いのでしょうか。
日蓮聖人は『日女御前御返事』という御妙判で「妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる。」と御示し下さっています。
自分の考え方云々ではなく、法華経を学び、お釈迦様の物差しで物事を考える事でその物の本質が見えてくるようになります。
人には誰しも仏の心が備わっています。即ち仏の心が人の本質なのです。私達は人の仏の心に気付いていないだけで、近くにいる人の言葉や行動にも仏の心があるのです。
田中先生は最後に「法話を聞いて頂ける檀信徒がいるから、私たちは成長できるのです」と仰っておりました。これからもお話をさせて頂くことに感謝し、精進して参りたいと思います。
ちなみに11月2日は私、下土井の23回目の誕生日で御座いました。
まだプレゼントを受け付けておりますので是非送りたい!という方は実相閣まで宜しくお願い申し上げます。(まぁ、冗談ですけど。)
次回もお楽しみに!!