六十歳半ばのお檀家さんが亡くなりました。このお宅は四世代同居。毎週七日忌の供養に出向くと、何かしらかわいらしいお供えがあります。
仕事や学校で家族が出払った家の留守番は九十代の曾祖母さん。供養の後、お茶を飲みながら、
「毎日、曾孫がお水をお供えして、おリンを鳴らして、『お祖父ちゃん、おはよう。私が学校に行っている間、寂しいだろうからゲームおいてくね。』とか、『今日はかわいい絵のマシュマロ。おやつに食べてね。』とか言って置いていくのよ。時には『あのね、お祖父ちゃん…』とか言って、十分ぐらい話しているのよ。」と教えてくれました。
私は、曾孫さんの目にはお祖父さんの姿が見えているのだと思います。お自我偈に「方便現涅槃―仏様は方便として死を示す」と説かれ、心から恋慕の思いを持てば、その前に姿を現してくださるとも。「亡くなる」は、「無くなる」のではありません。私たちの心の中に生き続けています。
【円頓寺 塩田宝裕】