私が僧侶になって間もない頃、ある檀家様宅へお経に伺ったときのことです。九十歳を超えたお母様に配慮し、わかりやすいよう意識してゆっくり御自我偈を唱えました。しかし檀家様の声が小さくなっていくのです。後で尋ねると「若上人のお経はゆっくり過ぎます」とおっしゃいました。高齢の方には遅いテンポが親切と思い込んでいましたが、その方は九十年以上、毎朝御自我偈を唱え続けてこられた方でした。「いつお釈迦様のもとへ向かうかわからないから、少しでも多くあげたい。毎朝御自我偈を読むと、今日もお釈迦様に守られていると実感でき、生きていることがうれしい」と語られました。その姿から、法華経やお題目は頭で考えるだけでなく、口・身体・心のすべてで受け止め、生きる支えとするものだと学びました。学生を終えたばかり、理屈にとらわれていた若い私に、法華経とともに生きる真の姿を身をもって示してくださった、忘れ得ぬ尊い師だったのです。
【情妙寺 林教仁】

